おたじ 〜Raod of Otaku/OTAku oyaJI is No Dead!〜
ゲームレビュー
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「パラッパラッパー」「ウンジャマ・ラミー」のスタッフによる、いわゆる「音ゲー」の第三弾だが、今作はちと趣が今までのどの音ゲーとも違う。
これまでの音ゲーは「パラッパ」も「ビーマニ」も基本的に演奏のシミュレーターだったのだが、これは「音」そのものを一種のオブジェとして扱っているのが、最大の特色だ。
画面は昔懐かしい白黒のカリグラフで、向こうから音楽の「音」に対応した図形が流れてくる。それに合わせたボタンを押すと、マイキャラの「ビブリ」がそれに合わせたパフォーマンスで、その図形を乗り越える。失敗すると、だんだんビブリの線がグチャグチャになっていき、しまいには虫になってしまう。また、ある程度成功すると「スーパービブリ」になって、華麗な(笑)アクションを披露してくれる。また、ゲームにあらかじめ設定された音楽だけでなく、手持ちのCDをセットすればそのCDから新しくステージを作って遊ぶことができる。
これ、実際にプレイしてみると純粋な音ゲーとしては問題がある事に気付く。というのは、ボタン押しのタイミングが、図形とビブリが触れた瞬間でなくてはいけないため、音楽のリズムと若干のズレが生じるのである。そのため、BGMに合わせてボタンを押すとミス連発になりかねない。このためイマイチ、という評価が雑誌やネットなんかでは多い。
ただ、このゲームの基本コンセプトが従来の「音ゲー」の延長線上にあるのか、というとそうではない気がする。このソフト、実はセーブがなく、一応ハイスコアはあるもののスコアそのものは電源を切ったらなくなってしまう。いわゆる「やり込み」をハナから拒否している、とも言える。
もひとつ、これ、やってみるとわかるのだが、プレイしててミスしても、意外とストレスがない。キャラクターがグチャグチャになっていくサマがかなりファニーで、しかも最低段階の「虫」でも特に動きにペナルティが生じるわけでもなく(一応ミスしすぎるとゲームオーバーになるが)、むしろこっちの方がカワイイ動きをしてたりするんである。ある意味ミスを容認するゲームデザインである、と言える。
思ったのだが、このソフトって、あまりにも求道的になりすぎた音ゲーへの痛烈なアンチテーゼではないのか。DDRやらビーマニの最新のAPPENDIXなんかを見ると、もう一音符のミスも許されないシビアな世界になってきていて、元々「パラッパ」あたりが持っていたお手軽感というのが感じられなくなってきている。「ビブリ」は、この「お手軽感」をもう一度追求し直したゲームであるように思う。なんつうのか「ミスしたって別にいーじゃん。しょせんゲームなんだからさ」というノリで気軽に遊んでほしい、というようなメッセージがそこここから伝わってくるような感じがするのだ。ただ、これって多分、多くのマジメなゲーマーには受け入れてもらえないんだろうなあ、とも思う。でもさあ、やっぱ「たかがゲーム」だよ?
ちょっとした時間のスキマ、大作の連続プレーに疲れた時、そんな時にのんべんだらりとプレイするのには最適で、いいウィスキーを味わう時の「チェイサー」みたいな存在として手元に置いておくにはちょうどいいソフトだろう。
ただ、チェイサーに4800円払えるか、というのはまた別の問題だが。
というわけで、1周目をクリアした。
告白をいただいたのは、ヒロインの陽ノ下光嬢であった。つうか、手成りに進めると光に行きつくと思う(笑)。さすがに詩織の嫌われッっぷりの反省が生きてるよなあ。
プレイした感触としては、続編ではなく前作で行き届かなかった部分を改修したリメイク、というのが妥当な位置付けのように思える。別項でも書いたのだが、前作でさんざん無粋なツッコミのタネになっていた「海の前」「スキー場の前」なんつう待ち合わせ指定や、「ほとんど面識がないのに勝手に盛り上がって怒り出す女の子」等といった所が、かなりの部分解消されている。細かい話しだが、インターハイがちゃんと夏に開かれるようになったりもしている。
ソフトウェアのレベルも高く、ほとんどストレスを感じさせない音声やムービーの切り替えなど、見るべきポイントは多い。同趣向のゲームのフラッグシップ足り得る堂々たる出来であるといえる。
だが、これが本当に「ときめきメモリアル」の名を継ぐべきコンテンツなのだろうか。
雑誌のレビューやWEBの感想なんかを読むと「前作と変わりない」とよく書いてあるがはたしてそうか。確かに表面上は、前作と同じように見える。しかし、内容に関していうとまるで別物のように感じる。キャラクターやシチュエーションの違い、という意味ではない。
コンテンツ自体の感触がまるで違うのだ。
実は前作に比して今作には根本的に欠けていると感じられるものがある。それは「スキ」である。
「妄想の自由」と言い換えてもいい。
たとえば、詩織と主人公の関係を思い出してみるといい。ゲーム側からは、ほんとうに些細な日常の台詞や、イベントなどを通して情報のフラグメントだけが与えられていたにすぎなかった。だが、
それらをデフラグする作業は完全にプレイヤーに委ねられていた。詩織と主人公が幼馴染であった事による詩織の「思い」は、パラメータ変化に対応した台詞の変化、イベントで語られるちょっとした思い出、そして告白の言葉から
プレイヤー自信が読み取っていくしかなかったのだ。しかし、だからこそ詩織は、プレイヤーが深く思い入れられるマドンナであり得た。
「詩織のことを本当にわかっているのはオレだけ」なのだから。
では、今作のヒロイン光と主人公の関係はどうか。劈頭、「幼児編」のラスト、泣きながら主人公を追いかけて来る光。
そう、この時点で既に光の「思い」ははっきりと正解として提示されてしまっているのだ。本編での光と主人公の関係は、いわば
答え合わせなのである。
例えて言うなら「ときメモ」と「2」はウィズの1(狂王の試練場)とファイナルファンタジー8ほど違った性質のコンテンツになってしまっているのだ。
これを果たして単純に続編と呼んでいいものなのかは迷うところだ。
ただ、この方針転換の是非は一概には問えない。ゲームとして見た場合の遊びやすさは、明らかに「ときメモ2」の方が上だからだ。例えば、
恋愛系のゲームをやったことのない友人に「どれか一本」と聞かれたら、迷わずこれを薦める。
だが、PCE版から付き合っているようなファンはこれを
「ときメモ」と呼びたくないのではないか。先日、某所のチャットでも
「最高によくできたときメモのマガイモノ」と言っていた古くからのファンがいて、その気持ちも実は
わかりすぎるくらいわかるのだ。
「想い出はそれぞれの心の中にある」。奇しくも、今回のOPでのモノローグだ。そうなのかもしれない。「ときめきメモリアル2」がどんな想い出をくれるのか。それはわからない。願わくば、それが、あの伝説の樹の下で待っていた少女たちがくれたものと同じくらい輝いていてほしい。
それが、我々が心焦がした名を冠したコンテンツの義務だろうと思う。
買ったままほり出してあったソフトで、とりあえず起動してみた。いや、「始めると30分プロローグ」みたいなことが書いてあったんで恐かったんで(笑)。で、プレイしてのファーストインプレはなんつうか、「変なソフト」である。→とりあえずゲーム詳細
ジャケット見ると完全なギャルゲーっぽいんだが、そう考えて始めると思いっきり裏切られる。物語は、ある山荘の中で主人公と5人の女の子の1日の交流である。しかし、異様なのは、この1日がループしている、ということだ。朝、山荘に到着し、午後、女の子と交流、夜、外に散歩に行って寝ると翌朝である。ここで朝の散歩にでかけると1日は終わりだ。ここで、物語はまた冒頭の山荘に到着シーンに戻る。これの繰り返しだ。ゲームの目的は、ズバリこのループを抜け出すこと、である。一種の不条理劇と言って差し支えない。
プレイヤーに可能なのは、1日のループの特定の場所で取得できる「内時性」という、要は物語上のフラグ(たとえば「木に傷をつけた」「電話がかかってきた」)を5つまで保存することだけである。次のループの際、このフラグによってシナリオが変化する、という仕組みである。ジャンルとしては一応アドベンチャーなのだが、パズル要素がものすごく強い。スキップ機能が付いているんで1ループは約10分ほど。しかし、まだEDを見るに至っていない。
劇中にヒントは一切無く、自分でちゃんとメモを取り、試行錯誤しながらチャート化しないとダメだろう。バッドエンドやゲームオーバーはないのでそのへんは気楽だが、それにしても、近頃マレに見るプレイヤーに「攻略」を要求してくるソフトである。この辺の作業を楽しめるプレイヤーでないと、まず、ついてこれない、というかムカついてくると思う。国民機のソフトとも思えないプレイヤーを選ぶソフトである。
主人公のモノローグであるテキストに独特のクセがあるのもプレイヤーを選びそうなトコロではある。こんなヤヤコシい事を始終考えている高校生ってなんかイヤだぞ。次のプレイでは、苗字を九○仏、名前を○志、自称を「我輩」でやってみようかとか思うぞ。アレ。
それから画面の書き換えがすげえ独特なんだけど、スキップし続けだとバグったようにしか見えないのは何とかしろや。
とかなんとかいいながら実は今んとこ割と気に入っている。それは、最近のビデオゲームの中では珍しく、「顔」のはっきりしたソフトだからだ。スタッフが3人と、ほぼ同人ソフト規模で開発されていたからかもしれないが、ともかく、デザイナーのコンセプト、やりたいことがきっちりと伝わってくる。出来不出来は別としてゲームにおいての「作品」とはこういうものを言うのだと思う。
いや、ムービーバリバリの大作ばっかりじゃ、やっぱりツマラない。こういう掌品があってこそ、だろう。PS2、DC、ドルフィン。どれもきらびやかな大作が目玉だが、こういうコンテンツを用意できるようになるか、が案外キモになりそうな気がする。
ちなみに長ったらしいゲーム名だがひょっとすると、かの「プリズナーNo6」にひっかけているのだろうか。ニフの会議室で「不倫妻」ちゅうナイスすぎる通称が出ていたが。
ナムコがひっそりとアーケードでリリースしたパズルゲーム。
内容は、変形の落ちモノで、一言でいうと「積み上げられたコラムスの宝石を、上から掘り進んで下まで到達する」、あるいは「ディグダグの岩が全部コラムスの宝石になった」という感じのゲームである。ルールもグラフィックもかなりシンプルで、ファミコンでも作れそうなゲームだが、これ以外と奥が深い。
このゲームがこれまでの同興のそれと著しく違うのは連鎖の扱いだろう。普通、この手の落ちモノでは「ともかく連鎖消し」を狙うのが常道になるのだが、この場合、少し事情が異なる。このゲームで崩して行かねばならない「宝石」は、実は自分の足場でもある。そのため、下手に連鎖を起こしてしまうと、回りの足場が一気に崩壊し、場合によっては上から落下してきた宝石に潰されてしまう(当然1ミス)、という事になりかねない。
また、このゲームには時間と共に減って行く「エア」というゲージが用意されており。これが尽きると1ミスになってしまう。そのため、宝石の各所にこのエアの補充が埋まってるのだが、うかつに連鎖して面を崩してしまうと、このエアを取れなくなってしまう場合がある。つまり連鎖を起こすと、プレイヤーが不利になってしまうというケースが往々にしてあるのだ。
では連鎖が不要かというと、それもまた違う。この「エア」は面クリアしても回復しないため、先に進もうとするとできるだけ早く(エアの残量を残して)面クリアしなければならず、そうなると一気に掘り進むためには連鎖を利用することも必要になってくる。よく練られたアイディアだと思う。コナミに訴訟されないしな。
このゲーム、操作やルールが単純ながら頭を使わなければいけない部分も多く、ハマる人にはツボだろう。ただ、どのくらい出回るのかが不明で、ひょっとすると「隠れた名作」で終わっちゃう可能性もありかも。見つけたらレッツプレイだ。
テクモがアーケードでリリースした、ポリゴンタイプの格闘ゲームで、乳に話題沸騰。
ゲームのシステムとしては一種の当て身投げである「ホールド」がウリで、これが決まるとすげえ気持ちいいのだが、乳に話題沸騰。
これ、この秋のゲームでは割とビッグネームなのだが、意外とプレイヤーの食いつきが良くない。実際にプレイしてみると、この「ホールド」の入れどころが感覚的にものすごくわかりにくく、例えばブロッキングやガードキャンセルなどよりも難しいようなイメージになってしまっている(実際は難易度は似たようなもの)。
その上、システムの特色がほとんどこのホールドがらみに依存しているため、ホールドができないとほんとに単なるPK連打の大味なゲームになってしまい、しかもそれでもどうにかなってしまうのだ。そのへんが格ゲーとしての印象を悪くしている原因だろう。で、結局乳に話題沸騰。
グラフィックに関してはさすがにNAOMI基板で時間をかけて練られただけあり、非常にきれいで、モーションにも破綻はない。衣類の質感があまり出ていないのが難点だが(女性キャラが全部同じ素材のボディスーツに見えてしまう)、許容範囲だろう。それから特筆すべきは、瞳のモデリングで、なんというのか人形の目ではなく「生きた目」になっている。これはバーチャファイター3でもDC版ソウルキャリバーでもわりとおざなりだったポイントだけに、乳に話題沸騰だが、この点は評価されるべきだろう。
それから、デモシーンから格闘ステージへの移行もインタラクティヴムービーを標榜するだけあって非常にスムーズでカメラのセンスもいいと思う。
正直悪いゲームではないので、乳に話題沸騰しかならないのは惜しいと思う。元々システムの情報量が多いため、予習しないと辛いゲームであることは確かで、メストがなくなったことによる媒体露出や情報の少なさがボディブローのように効いてきてるような気がする。DC版で勝負かなあ。
ところで、あやねはもう少し貧乳の方がいいと思うがどうか。
古今、実写取りこみをやったゲームで成功したものは皆無に等しいのだが、ここにチャレンジャーがまたひとつ。カルチャーブレーンから出た「女流雀士に挑戦!」である。
これ、カルチャーブレーンが企画した低価格(1980円)ソフトの一本で、名づけて「ハイグレ」シリーズ。ネーミングが赤出未亜夢之介なカルチャーブレーンらしいセンスである。
肝心のゲーム内容は、いまどきセーブ機能もついてない素の四人打ちマージャンで、それ自体はまあそこそこである。このゲームを特徴付けるのが、「女流雀士」の方々である。ゲームは、この彼女達の「部屋」で麻雀を打つ、という趣向になっていて、各名人の部屋によってルール設定が異なっている。
この女流雀士という方々が、麻雀界でどれくらいのステータスを持っているのかよくわからない。容姿を云々するのはあまり好まないのだが、皆さんそこそこ美人だとは思う。まあ、アニメファンにとっての飯塚雅弓とか桑島法子くらいのステータスはあるのだろう。余談だがCDのジャケ写がどう見ても公衆電話のエロチラシにしか見えないのは問題あるぞ。ちゃんと色味調整やれよ。
この6人の女流名人の方々が、実写取りこみでお相手をしてくれるのだが、してくれる、といっても単に6人の方々の顔写真が画面上に表示されている だけなんである。半チャンを3回くらい回しただけなので、決定的なことは言えないのだが、思考ルーチンに大きな特徴もないようだ。要は単なる飾りである、ってことはやはりこの「女流雀士」にそれなりの需要があるのか。「ボイスファンタジア」みてーなソフトなのだろうか。これ。麻雀界に詳しいヒト、情報求む。
このシンプルなゲームで、 唯一の変化が、振りこんだ時などに「しまった」という顔を女流雀士の方々がされる部分である。ところが、この「しまった」顔がいい味出過ぎでなんである。
特に、「C2リーグ所属 最高位戦」の肩書きをお持ちの田中智紗都プロの「しまった」フェイスは絶品で、ミス困った顔コンテストとかあったら是非推挙したいほどだ。まさか実生活でこのような表情をなさってはおるまいと思うのだが、してるとちょっと恐いと思う。
むろん、女流雀士の方々は役者さんではないので、表情の作り方の巧拙はあるだろうが、やはりこの「味」は実写取り込みならではであろうと思う。
今のビデオゲーム機の解像度では、人間の表情の微妙な変化などは、まだ充分に表現できない。そのため、どうしても実写を使おうとすると演者はオーバーアクトを強いられ、それが、出なくてもいい「味」になってしまうのである。チュンソフトの「街」は逆にこのオーバーアクトを利用して、マンガ的な雰囲気を出して成功していたが、これは稀有な例であり、たいがいはモンドな事になってしまうのである。果敢な挑戦もちょっと残念な結果に終わったちゅうべきか。
このカルチャーブレーンのサイトにアクセスしてみたら、「ハイグレ」のラインナップに「ギャル麻雀」というのがあったのが気になる。やはりコレモンなのであろうか。大いに期待できるかもしれない。
ところで、このゲーム、BGM選択ができるのだが、ジャンルにある「ロック」とか「J−POP」とかって絶対なんか認識間違ってると思うぞ。「琴」選んだらテクノポップ崩れだったのにもタマゲたが。まあカルチャーブレーンだしなあ。
バンプレがリリースした人気ソフトシリーズの最新作で、携帯機を別にすると、「魔装機神」以来のROMカセット版のスパロボになる。
ストーリー、設定はファミコン版第二次から続いていた「魔装機神サーガ」とはまるっきり別物で、それもあってか全体に「第二次」を思わせるつくりである。実際、従来のシリーズあまり変わり映えはない。ただ、やっぱりROMカセットの読み出しの速さは感動的で、やっぱこーでなきゃいかんよなあ、と思う。
ブツとしては、冬に出る「α」が新世代だとすると、これまでのシリーズの集大成といっていいだろう。
設定に目を向けると、前シリーズで丸っきり無視されていた、ムゲ・ゾルバドス帝国、百鬼、ミケーネあたりがちゃんと登場するのが嬉しいところである。
しかし、「新」に続き、今回もグラドスは他の文明の支配化にあるようでつくづくひでえ扱いではある。まああんなバケモノども相手じゃなあ。いーんだが、この設定だとル・カインが単なる自意識過剰のバカにしか見えないのが難点か。四鬼隊の連中は、ムゲ帝国にいても百鬼一族にいても全然違和感ないが。
シナリオはまだ何とも言えないが、それから攻略本見ると「魔装機神」並の分岐チャートみたいなんで、攻略しがいはあるかも。飽きるような気もするが。
キャラクターとしてはゴッドマーズ及びジャイアントロボちゅう、もう20歳以下はさようならな新ロボの参入が目新しいが、ガイヤーとコスモクラッシャーのキャラグラフィックが思いっきりスタジオZ5してるのがナイスである。
しかし、これに出てくるゴッドマーズの敵メカとか今見ると、中途ハンパにガンプラっぽいところが80年代前半のラインであるよなあ。あんなんまでプラモで出してた当時のバンダイってある意味狂ってたんだなあ。でも結構売れてたんだよ。
ゴッドマーズの敵メカ。いやMSVプラモの流用パーツ用に。