おたじ 〜Raod of Otaku/OTAku oyaJI is No Dead!〜
ビデオゲーム雑感
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とりあえず中古ゲーム販売に関しては適法という判断が下されたようでまずはめでたい。オレみたいな
『とりあえずワゴン』みたいなダメ入ったゲーオタにはとてもありがたい。
『リアル麻雀アドベンチャー 海へ』なんて中古以外じゃ入手できねえしなあ。
まあそんなわけなんだが、敗訴した業界側曰く
『ハードウェアプロテクト』、『中長期的にゲーム業界のためにならない』
はぁ?
確かに、中長期的にゲーム業界ってヤバそうである。
こんなボンクラが業界の代表でござい、ってフンゾリ返ってるようじゃな。
そもそもゲームソフトの中古販売に対して、ゲームメーカー側がクレームをつけたのは
『中古販売をされると本来メーカー側に入るべき収益が入らない』ということだった。まあそれが気に入らないのはわかる。だが、そこで中古販売をツブしたところでその分の収益が戻ってくるのか。
単純にゲームの流通量が減って小売までひっくるめた業界全部がジリ貧になるだけじゃないのか。 何でそう後ろ向きの解決策しか出ないかね。
業界がやらないかんことは、売れる、というか
一次売りで確実に収益が上げられる構造をまず確立させるちゅーこと、それから現状を鑑みれば、
ゲームソフトは中古売買まで含めて商品としてのライフサイクルが成立している、とも考えられるわけで、そのあたりを踏まえた上でのビジネスモデルの再構築なんかも視座に入れる必要があるだろう。今はやりの
構造改革ちゅーヤツっすか?そのへんの努力って何かしてるんすかアンタら。どーせ
経費節減とかゆって下請け外注費足元見てるだけだろ。
ま、つらつら考えるに中古ソフトってのはもうひとつの側面があって、『業界側』が案外不愉快に思ってるのはそっちのほうなんじゃねーのかな。
実は中古ソフト、というか中古ショップの店先てな
ユーザーの正直な評価がナマで出てるポイントでもあったりするわけだ。初回発売百万本とか喧伝しても、
中古屋の店先が一週間もしないでソレに埋め尽くされてたしたら、絶対ソフトにナンかある、って事が推測されちゃったりして、しかもソレが当たってたりして
ステキ気分になったりする事も多かったりするわけでな。何回かそーいうのにアタっちゃったらとりあえず高い金出して新品はよそーかなーって気分にもなるよなあ。
そういうユーザーの『気分』を受けた上での中古ソフトでもある、ってことはちゃんと認識してるのか。
それからもうひとつ言っておくと、CCCDなんかもそうだけどな、そういうプロテクトってのは
コンテンツの寿命を縮めるってことはちゃんと考えてるのか。
今、手元にファミコンの『ポパイ』がある。20年も前に出たソフトだがちゃんと起動し、遊べる。ハードやソフトの物理的な限界が来るまで遊べるだろう。
そこまでして遊びたいかはともかく。
だが、たとえばネット認証なんかを取り入れたソフトだったらどうか。20年後に認証サービスが機能しているのか。また、通信インフラが全て様変わりしてしまっていたらどうなのか。
物理的に生きていたとしても、そこでそのコンテンツは永遠に失われる。それはそのコンテンツと、そしてそれを愛してくれたユーザーに対してあまりにも失礼だと思うがな。
少なくとも文化を標榜するのであれば、
企業の都合でコンテンツの寿命を決めてしまっちゃいかんだろ。あくまでコンテンツというのはクリエイターの、そしてそれを愛してくれるユーザーのものなんだから。
こういう発想しかできねえ『業界人』ってのは真に唾棄すべき存在だと思う。だって
コンテンツをひとつも愛しちゃいないんだから。
いやね、業界が辛くて苦しいのはよくわかるんだよ。ただな、
客商売が客をないがしろにしてどーするんだ。
今の景気ってのはどんな業界だって全然儲かっちゃいないわけで、そこでみんなアレやコレややりくりしてやってるトコなのに、そんな
『オレたちがラクして儲けられないのってイヤじゃん』つって泣きながら先生に言いつけるのはあんまりにも
イぎたないんじゃないのか。まずユーザー負担を増やさずに収益を上げられるかを模索するべきだろうよ。
それができねえようなら、
ACCSだのCESAだのの役立たず団体を全部解散して運営費を開発費に回したほうがよっぽど業界のためになるんじゃないのかね。
ルノーからやってきて、潰れかけた日産自動車を何とか立ち直らせたCEOのゴーンって人がいる。コストカッターだの下請けいじめだの毀誉褒貶、色々ある人だが、この人、実はクルマが好きらしいのだ。
GT−Rの試走車のハンドルを離さなかったとか、フェアレディZのオーナーズクラブに入っていたとか、そういう逸話もある。ゴーンが来たときに多分なくなるだろうと思われていたZがフラッグシップモデルとして再生する、なんてのはこの人なればこそ、だろう。
ゲームファンとしちゃ、
こういう経営者を持てた日産自動車を、そして自動車『業界』がすげえ羨ましいと思う。
実はこの手の大物はあんましハズれに当たらなかった(変な日本語)んで安心してたんだが、今回はオレ的にジャストミートしちゃったXBOXではある。
まあMSがミスを認めたっつー事でアンチの人たちはこれ以上ウレシイことはないんだろうがな。
けどそうそう喜んでていーもんなのかどうか。ちょっと冷静に考えてみよう。
今回の件は、色々な話を総合するとあくまで日本特有の騒動であった可能性が高い。今回の不具合は元々の設計に潜在していたものであり、先行発売されていたアメリカでも起こっていた事象であったはずで、事実そういう報告がなされている、とMSも認めている。
それが訴訟&アンチMS大国のアメリカでなぜ、騒ぎにならなかったか、という事を考えるに、この事象がアメリカ人にとっては全くもってどうでもいいことであったからと推察するのは大きな間違いではあるまい。
確かにソフトウェアパッケージというのは収録されたコンテンツを買うものであって、媒体に多少不具合があったとしても、ソフトがきっちりドライブできれば問題はないはずなのだ。
そういう意味で、今回の不具合で実質的な逸失利益のあった人ってほんとうのところどれ位いるのか。無論、ディスクが傷んだのは確かだ。ただ、ウチに限って言えば、傷ついたのは盤面ではなく周囲の余白部で、ソフトウェアの動作に支障が出るとも思えない。将来的にゼロとは言えないが、そういう意味ではMSの『不具合は起きていない』という説明は正しいのだ。
それに、だ。今回のXBOXの一件を『不具合』とし、このキカイを『不良品』とするなら、実は世間のほとんどのパソコンは不具合を抱えた不良品ということになりはしまいか。
なんでか。現在のほぼ全てのPCに装備されているHDDだが、このデバイスはよくご存知のようにかなりの確率で『不良セクタ』と呼ばれる物理的に破損した領域が現れることがある。
これらはよほど大きくならない限りパソコンの動作に支障が出ることはない。だが、『通常使用で発生するハードウェア由来のメディア損傷』であって『将来的に異常を引き起こす可能性のある事象』という意味では、XBOXの不具合と意味的には変わらないではないか。
つまり、我々は1セクタでも破損クラスタの存在するHDDを実装したPCは、たとえ何ら支障なく動作していてもメーカーに不良品として返品交換を要求しなくてはならないはずだ。
だが、もしンなことを実際に言い出したら、まず間違いなく偏執狂のクレーマーだと言われるであろうことは想像に難くない。こう考えると今回の日本の騒動というのは極めてパラノイアックな様相を帯びてこないか。要するにXBOXにクレームをつけるヤツぁどっかおかしいのだ。
・・・・・ あああああああああ。やっぱりダメだ。なめてるんじゃねえゲイツゴルァ。斬・歌舞伎だけ1024時間プレイの刑だとかシアトルに向かって叫びてえぞ。いや、すっげー感情的な『なんか気にいらねえ』レベルの話なのはよくわかるんだけどさ。
今回の件は、日本人の『品質への厳しさ』が出ている、と評する向きがある。それはそうなんだろうが、それって、多分にこういう情緒的なもんなんだよなあ。
でもな、そういうのって実は本当にキモの部分を見逃す可能性あり、でもあるんでないか。
今回だって最初に『全とっかえ』対応を言い出してるんだけど、これって実はこっちに気を使ってるようで、思い切りバカにされてるんだぜ。だってさー、原因とかがはっきり発表されてない以上、修理に出しても直って帰ってくるとは限らないじゃん。
形だけ頭を下げるそんなヒマがあったら原因を確実に究明し、それにどういった対策を取るのかを早急に表明すれちゅーのがスジじゃないのか?。怒ってワメくだけの困ったチャン顧客としか思われてないつーこっちゃないの?いやメーカーの態度としちゃ問題アリアリなんだが、こっちもそう思われないようにする必要もってのも結構あると思うぞ。
いや、怒るのはいいけど、その前にちったぁ冷静にならんとな、ってことさ。今回は相手が大馬鹿だったからこれですんでるけど、そのへん自覚的にならんと、もっとデカい詐欺にひっかかるぞ
『朝三暮四』という故事をご存知だろうか。宋の時代の祖公が貧窮して、飼っていた猿に『明日からは餌のドングリを朝3個、夕方4個にする』と言ったところ猿は怒った。そこで祖公は『では、こうしよう。朝1個、夕3個で先着10名に書き下ろしテレカと携帯ストラップを付けよう』。猿はそれで満足し、以後文句を言わなくなった、という故事だ
・・・・ちょっと間違ってる気もするが、まあそういう風にならんようにするのが賢い消費者てなもんだろな。
というわけで新世紀が始まったとたんに終わったドリキャスの専門誌、現ドリマガの読者レースの結果をまとめた単行本。全ソフトが掲載されているんでカタログにもなっている。
ずるずる並んでるソフトを見ると、走馬灯のように色んな思いがよぎっていくが、やはり感慨深いのは推定販売本数だろう。3桁4桁が当たり前な数字の列を見てると基本的にセガシンパなオレでも今日の状況もやむなしつー気分になってくる。どう考えても同人ソフトより売れてねえソフトあるもんなあ。
中でも圧巻はアクレイムジャパンの『スピリット・オブ・スピード 1937』で、今年の4月発売で8月時点の推定販売本数87本。
誤植じゃなかったら伝説になること間違いましであろう。ちなみにクラシックカーのレースゲーらしいんだが、売れたら売れたで『魔王』とか『大王』とかの二つ名を持つ別の伝説になってしまいそうなゲームらしいのでこれはこれで幸せかも。まあ、何事も世の中というのはこーゆう構造で成り立っているのだなということを改めて思い知る一冊ではある。
(ソフトバンク刊 書籍コード ISBN4-7973-1721-3)
というわけで、VBなんぞをゲットした。ベンチャービジネスでもなく、ビジュアルベーシックでもなく、ザクじゃないけど赤いヤツ、である。
そんなんで、夜勤明けなのにちょこちょこいじって見たりしてるのだが、いまさらながら、野心的な機械ではある。
赤い光電管で表現された3D映像は、ビットマップで表現されたCG映像とは異質の存在感がある。なんというか、目の前の筐体の中に立体空間が丸々入っているような、ちょうど電子的にディオラマが構築されているような感じで、赤一色の世界なのに、フルカラーのCG映像よりも、手を伸ばせば触れそうな生々しさを感じられるのは素直にすごい事であると思う。
これを設計したのは、任天堂にその人ありとうたわれ、その最後に関わったプロダクツであるワンダースワンのキラータイトルとして名を残している故・横井軍平氏である。氏の生前のインタビュー等を読むと、氏はともかく手で直接触れる事、にこだわる人だったようで、そのコンセプトがこのプロダクツにもよく生きている。氏にとっては『ピンと来ない』という感想だった電子ゲームの世界と、自分が馴染んだ手で触れる玩具との接点としての意味合いがあったのかもしれない。しかし、売れなかった。
理由は色々と考えられる。まず、デバイス設計の悪さ。独創的な3DCG技術を体現するために特化した筐体は、ユーザーの着座姿勢とハードの設置場所を筆頭とするプレイ環境を著しく制限する。
また、当時の標準的な十字キー+2ボタンをメインとしたコントローラでの操作はお世辞にもプレイアブルとはいえない。コントローラ自体はまずまず使いやすいのだが、このコントローラーではVB特有の奥行きのある画面の空間認識と操作感覚が一致しない。これは時代を考慮したとしても、減点せざるを得ない欠点である。
さらに、プロダクツとして決定的に失敗だったのは、『テレビゲームの遊ばれ方』と商品の性格が齟齬をきたしていたことだろう。よくゲームばっかりで友達と遊ばない、といういような言いかたをされるが、実際にはゲームというのは子供たちのコミニュケーションの媒介として機能している場合が多いのだ。そうでなくとも(子供の小遣いからすれば)高額商品のゲームマシンやソフトが、各家庭にそうそうあるわけでもなく、友人の家にみんなで集まってゲーム、というケースなんか、今だってずいぶんあるだろう。
そういう遊ばれ方をする玩具で、完全に一人だけの空間になってしまい、ギャラリーすることすらできないVBは、実は最初から受け入れられざるハードだったのだ。
玩具やゲームを知り尽くしていたはずの横井氏や任天堂が、どのような勝算があってこのようなプロダクツを世に問うたのかはよくわからない。ただ、ビデオゲームの『今』を見るとその答えは見えてくるような気がする。
PS2、X−Box、ゲームキューブとビデオゲームのハードは脅威的な性能アップを遂げた。もはや、画面中のピクセルを全てポリゴンで埋めてもまだ有り余るパワー。
だが、それは何をもたらしたか。DCからPS2、そしてその先のニューハード。だがそれは結局画像再生マシンとしてのバージョンアップでしかない。確かに映像は美しくなり、表現力は飛躍的に上がった。だが、この先はどうなのか。どんなに精緻な画像データを送りだせるようになっても、それが投影されるモニタの性能、そして何よりもそれを受像し、視認する我々の視覚の物理的な性能限界が存在する限り、早晩行き詰まるのは火をみるよりも明らかなのだ。
視覚表現が限界に達した後、おそらく次に来るのは「見る」以外の感覚を与えうるシステムであるだろう。その時、この奇矯なハードウェアの意味するところが見直される。単に『リアルな世界を視聴する』のではなく、ほんとの意味で中に『入り込む』感覚を具現できるシステムとして。
VBの欠点は、ウェアラブルコンピュータ、アナログ入力デバイス、そしてオンラインゲームと技術的にはかなりの部分で克服可能な段階に入ってきている。VBの志を受け継ぐ者が、姿を現す日も近いのかもしれない。
天上の横井さんは、ほんとうはどんな夢を我々にくれるつもりだったのか。それが見える日が。
Xデイ、ちゅーべきか。
セガがDCの製造を次世代機の投入無しに中止、という家庭用ゲーム機からのの撤収宣言を出した。まあ、不良在庫を大量に抱えた商品の生産を続ける道理もないわけで株価もストップ高でまあイサオちゃんとしてはご同慶の至り、というところか。
実のところ、セガとしちゃとりあえず穏便に済ませたかったようだが日経がスキャンダラスに報じたのに加えて天下の朝日にまで「ドリキャス撤退」とか書かれちゃなあ。でもこれでセガが本気でコケたらどうするつもりだったのか。
いや、実のところセガのハードイチ抜けってのは色々とヤバげな事態を業界に起こすことが充分考えられるんだが。以下、素人考えをいろいろ書いて見るんでギョーカイな方々の「なに言ってやんでえ」のネタとしてご笑覧いただきたい。
まずセガ自身はどうかっつーと、『ソフト開発力があるからだいじょーぶ』とかの評判を聞くんだが(ストップ高の根拠な)それって変じゃないのか。いやだってさ、ソフトの技術力で全てカタが付くんだったらそもそもセガが今日の状態になってるわけがないんじゃないと思うんだが。
結局その技術力を収益に結び付けられなかった企画やらパブやらに問題があるわけで、そこをちっとも反省してないんじゃ、あんなソフトやこんなソフトを100万本売っちゃう新宿のあそこや神戸のあそこが跳梁するPS2の世界じゃサードパーティのワンノブゼン、業務用の移植屋として露命を繋ぐのやっとじゃないのかね。このあたりはかなりドラスティックに変えて行かないとダメだと思うぞ。
で、まあこのへんは羽田の方々のOwn Riskでやってもらうとしても、家庭用ゲームがエンペラー・クタラギ陛下の一元支配の元でほんとにやっていけるのか、というのが実はより大きな問題である。いや、たかだか一私企業の動向に全てが左右されるって、コンテンツそのものの状況としては、ありていに言ってあまりいいこととは思えないんだが。対抗馬と目されるニンテンやらマイクロソフトなんかはどんなもんだろうか。
対抗馬候補そのいちゲームキューブはたぶん、セガ以上にドラスティックにならない限り64の生態的位置を継承するキカイにしかならない。任天堂のゲームができる、という事だけが市場でのプレゼンスとなるマシンだ。それでメーカーもユーザーも幸せなんだろうから特にどーこーいうもんでもないけどコンテンツのメインストリームからは完全に外れた存在となるような気がする。
対抗馬そのにX−BOXは、『この世にPS2はふたついらない』ということをちゃんと理解できていればブレイクの可能性はあるが、あそこのビジネスモデルからするとまずムリだろう。ヘタすると早晩3DOあたりと枕を並べるんではないのか。
とゆーわけで、多分ソニコンの1000年王国の完成は間近い、と言いきってしまっていい・・・・もんなんだろうか。
プラットホームの消滅によって、コンテンツの幅は確実に小さくなる。『コストや技術の関係でPS2やPSじゃできないけど、DCならできるモノ』が行き場をなくすからだ。
そういう意味で「家庭用ゲームそのもの」になってしまったPSとPS2は、実はこれからこれまでにない負荷がかかっていく。それをちゃんとうまくやらないと、家庭用ゲーム機という存在そのものが過去形になってしまいかねない。
まあ何にせよ、色々と難しいところに来てしまった事だけは確かである。何とか上手くやってほしいとこだが、とりあえず「こみパ」は出してから終わって欲しいなあ、DC。