おたじ 〜Raod of Otaku/OTAku oyaJI is No Dead!〜
ビデオゲーム雑感
<prev next>
いや、他人のプレイ端で見てて思ったんだがこれ「スレイヤーズ!」とか「BASTARD!」の版権モノにして、呪文合戦とかにした方がよくないか?
プレイヤーのモーションアヤしすぎ。
VM連動のカスタム機体なんだが、あのエンブレムって実はCPU戦でクリアした時にもハイスコア画面に登録されるんである。
で、だ。沢渡ほのかとかターニャとかはともかく椎名へきるの顔写真でハイスコア画面を埋め尽すな。心底恐かったぞう。
つーわけで
何かと話題のヤフオクなんぞを最近つらつらと使っている。
落としてるのは古ゲーや古ハードの類で、1000円単位の実にササヤカな取引だ。
そんなんで、出品リストを眺めるにつけ思うんだが、出す方って「相応に目利きのできる人物が見てる」ってコト考えないんだろうか。ゲームソフトだけ見ててもつまんねえソフトを高値で売りつけようとしたりしてるヤカラの多いこと。ゲームソフトって骨董じゃないんだから古くて数が少ない、っつーだけで高く売れると思ったら大間違いである。当然、そんなのに入札するヤツはいない。やはり相応の評価を受けてるブツじゃないとダメなのがわからんか。
「メタルスレイダー・グローリー」が1万2、3千円くらいなのはまあわかるが「バンゲリングベイ」が5千円ってのはどう考えても売れるわきゃないと思うのだが。こーいうクソゲーやバカゲーに妙に強気の値付けをしてる勘違い君、意外と多いのだ。
アレは基本的に買ったら損するモノであって、基本的には『話のタネ』に買うもんだろう。
たとえば「死霊の盆踊り」のビデオ(現在絶版)を1万円出して買うヤツがどれくらいいるのかということなんかを想像すりゃわかりそうなもんだが。そのへんを半可通に理解してるからこーいう事になるのである。
ところで、Yahooオークションってーと、無法地帯みたいに言われてるんだが、そもそもネット売買での詐欺とか違法ブツの販売なんて問題は、2400Bpsの昔っからよくあった話で、ヤフオクに始まった事じゃない。
別に違法行為をよしとはしないのだが、ネットっていうのは基本的にOWN RISKと引き換えに自由を得ることができる世界であって、まず自衛ありきだと思うのだ。いちいち官憲に規制を求めるのは、自分たちの首を確実に締める行為としかオレには思えない、ってーのがネットワーカーとしちゃ甲羅にコケなんかが生え始めてるオレの認識なんだが、最初っからインターネットがパソコンの画面に付いてる世代にはそのへんの覚悟を要求するのは無理なのかもなあ。
いや実はその昔Nifで買った今売買すると非常にヤバいビデオが数本あったりして実は非常にアレなのだが、それはともかく、ヤフオクで個人的にいっとう腹が立つのが検索キー用に無闇にワードをつっこむヤツである。
まあ商売熱心と言ってしまえばそれまでだし規則に違反してるわけじゃないんだが、路上キャッチみたいでうぜーよつうのは個人的な感想だから置くとしても、我慢ならんのはこいつらのデータが無用に転送されるおかげで、あのクソ重いYahooのサーバにいらん負荷がかかっているっつー一点だろう。こーいう公徳心に欠けるヤカラの方が、ネットにとっては害毒なんだよなあ。実際。こーいうのこそ何とかしろよYahooよう。
まず
これを見てほしい。これは
「公開」「公平」「公正」の精神に則り、コンピュータエンターテインメントソフトウェアの優秀な作品を決定し、表彰を行うものです。
という趣旨の元、選出される「日本ゲーム大賞」のノミネートである。賞は、ユーザー投票を元にエントリーされた大賞・優秀賞と、グラフィック、サウンドなどの部門賞に別れている。賞としてはアカデミー賞やグラミー賞といった映画関係のアワードを意識したものと言えるだろう。んで、思ったんだがこの賞の担当者は
「公平」とか「公正」とかの意味を一度辞書で調べたほうがいいぞ。
グラフィックやサウンドなどは、そもそもスペック自体が異なるPSやDCと携帯機を同列に比較するのがまずおかしいし、シナリオ大賞に至っては、
受賞機会があるのは全てのゲームのうち、事実上、アドベンチャーとRPGだけである。これのどこが「公平」で「公正」なんだ。映画とゲームのメディア特性の違いとか真剣に検討したのか。
さらに言うと、
ユーザーインターフェイスに関するアワードがひとつもないのはどういうことだ。いわゆるインタラクティヴ性こそがビデオゲームの魅力であり、他のメディアとビデオゲームの最も大きく差別化されているポイントのひとつだろう。この重要なパートに対して、アワードを設けていないのはどんな
了見なのか理解しかねる。
早い話が、この「ゲーム大賞」というのは、
ゲーム業界の既存メディアへのコンプレックスもあらわなゴッコ遊び、単なる児戯に過ぎない。
いや別にいいんだがね、例の1234発売の
アレでは
ディスクトレーの座をハリウッド映画やアニメと競い合わなくてはいけないちゅうことをわかってるのかあんたら。映画モドキは映画に勝てやしないんだよ?
はしゃぐのもいいけど、まず自分の本業をちゃんとしろや。
あんたらもいいオトナなんだからさあ。
つうわけで、2000年が明けた。来年はいよいよ21世紀だ。
そーゆう年の1日、オレと言えば、シェンムーとかときメモ2とかをプレイしつつ、ファミコンのゴルフなんかをやってたりした。
そう。ファミコンである。しかも15年前のソフトだ。これが物理的にまだドライブが可能なところを見てると、ビデオゲームというのが、つくづく劣化しないメディアだというのを感じる。 でも、考えるとこれっていつまで遊べるものなんだろうか。ROMカセットの寿命は案外長いような気がするのだが、果たしてファミコンそのものがあとどれくらい持つのか、という事を考えると実はそう長い期間ではないような気がする。
ビデオゲームのソフトは「劣化しない」という事はよく特長として言われるが、「そのフォーマットをドライブできるハードが消滅した時点で命脈が尽きる」というポイントでの議論はあまり見たことがない。例えば、初期の8ビットPCやセガの各種ハード、ファミコンのディスクシステム、などなど現在プレイしたくとも容易にプレイできないソフトというのは多い。これらがリリースされたのが、ここ20年の間であったことを考えると、ビデオゲームの寿命というのは実は既存のどのメディアよりも短いと考えるべきだろう。オーバーと思うかもしれない。だが、例えば今現在、PCエンジン用のオリジナルの「ときめきメモリアル」を遊べる環境がどのくらい残っているのか。言っておくが「ときメモ」はたった6年前のソフトなのだ。
「テレビゲームしか遊ぶものがなくて今の子供はかわいそうだ」とか言うのはタワゴトである。しかし、ビデオゲームを友として育った世代が、過去を懐かしむとき、その想い出の大半が永遠に失われている、という可能性はものすごく高いと思う。少なくとも、我々がCSやDVDで子供の頃見たアニメや特撮を見るような感じで、過去を懐かしむことは多分できないような気がするのだ。
これを「かわいそう」と言ってしまうのは多分「テレビゲームしか・・・」と言う台詞と同じレベルのタワゴトであろうとは思うのだ。ただ、そろそろ本気で「ゲームソフトの動態保存」という事は考えられていいと思う。具体的には、散逸しつつある創世期のビデオゲームソフトの収集と動作環境の確保、それにオフィシャルなエミュレータ(無論ROMイメージのフォーマット規格も含めて、だ)の開発くらいはCESAあたりで始めるべきだろう。
さもないと、ビデオゲームという20世紀の終わりに産まれたこの豊穣なメディアはその歴史を失ってしまう、そう思えるからだ。
老夫婦が、日の当たる小さな部屋でポケモンをプレイしながら、かつて自分たちが過ごした冒険の日々の思いで話に興じる、そんな未来があってもいいではないか。そんな未来のために、そろそろ何かをすべきなのではないか。
恋の大気園を 透かしてみてごらん
そこは、地獄か。はたまた、暗闇
声を上げて 頭を使って
求めるのは ななななななに?
ヒカシュー「20世紀の終わりに」より。
以前ちょっと触れた3D格闘ゲーム、「デッド・オア・アライブ2」がバージョンアップし、「ミレニアム」となった。 大きく変更されたのは、ストーリーモードが格ゲーではあまり類を見ない残機制になったことと、サバイバルモードが追加されたことで、システム的にはディフェンシブホールドの有効時間が延びて、より「読み合い」の要素が強いゲームになっている。
とゆーことはさておいて、やぱしPK同時押しスタートで使えるカスミとあやねの隠しコスであろう。いやなんてことないセーラー服とブレザー制服なんだが、なんだかスカートのモーションが、物理法則的にリアルすぎて、アクションするたびパンモロ。
ステージ上で、地下道から風が吹き上げてある部分があるんだが、そこに立つとOh!モーレツ状態である。はっきり言って大馬鹿者である。しかもこのゲームのモデリングって最初っから「ヌいてください」といわんばかりのぱっつんぱっつん状態なんで、盛り上がりもクッキリ。もう辛抱たまらんよおぢさんわ(笑)。
こうなると期待したいのがこの技術を応用したエロもとい美少女ゲームであろう。3Dなんかじゃ萌えないという2次元野郎でもデドアラ2ならだいじょぶだ。なぜならこのゲームはキャラのモデリングの際、骨格のバランスを2次元キャラ方向に大きく振っているからだ。特に女性キャラの顔の各パーツのバランスは明らかにアニメキャラのそれである。
このモデリングの方法論では、当然3D表現のウリのひとつである「リアリティ」は後退する。しかし、その替わりに「恐くない」という大きなメリットを引き出すことができるのだ。
3Dのキャラクターは、骨格をリアルにすればするほど、どうしても「生き人形」的、というか「ヒトの姿をしてるんだけどどこか違うモノ」な違和感がつきまとう。夜、雨の中に立ってると結構アレな原崎@70億なんかがいい例である。
しかし、デドアラ2に関していえば、記号的な表現を応用することによって違和感をかなり払拭することに成功しているといえる。他のゲームでも、PSの「クーデルカ」などもこの系列のキャラデザインだし、ゲーム以外でも去年話題になったくつぎけんいち氏の「てらいゆき」を始めとするいわゆるバーチャル美少女も、この「パーツのバランスをアニメ的にデフォルメする」という手法を取っている。
ここにきて、ポリゴンでのキャラクター表現がようやくひとつの落としどころをみつけた、というところか。
この辺を鑑みて次次世代くらいののギャルゲーを考えてみると、多分ポリゴン美少女を人気のない旧校舎に追い込んでリアルタイムで監禁陵辱、というような内容でまあギャルゲーって基本的にあんまし変化ないんだろうなあ。なんせ人間のリビドー(仙台のギャルゲーメーカーに非ず)に訴えかえる娯楽だからなあ。
ちゅうわけで「絶望2002」あたり希望(こら)。