だ☆めーづ
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おたじ 〜Raod of Otaku/OTAku oyaJI is No Dead!〜
フィルムレビュー

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ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃 (2001.12.17)

とうとうハム太郎の添え物になった怪獣王。

再起を目指してか平成ガメラの立役者である金子修介監督を迎えた21世紀最初のゴジラ映画である。
劇場に入ると張り紙がしてあって、何かと思ってみると

ハム太郎を見に来たお子様には刺激が強いかもしれないので親子でよく話し合ってください(大意)。

色々と期待に胸を膨らませて鑑賞。・・・確かにトラウマになりそうな内容ではある。

まず、サブタイトルの「大怪獣総攻撃」に嘘偽りはない。4大怪獣がほとんど出ずっぱりで、ジャンプ漫画ばりの勝ち抜きバトルを繰り広げてくれる。陸上獣類型のバラゴン、飛翔怪獣のモスラ、そして真打のギドラと対戦のバリエーションも豊富で、都市破壊のカタルシスも十分。まず怪獣映画としてツボを突いたつくりであると言える。さすが金子監督。

ただし、それに巻き込まれて人が無闇に死ぬ。というか今まで「見て見ないフリ」をしていた怪獣が暴れたら人が死ぬという考えたら当たり前の事実を容赦なく突きつけてくる。
バラゴンは暴走族生き埋めにしながら移動するわ、モスラはバカ大学生の一団を行きがけの駄賃にくびり殺すわ、移動中のバラゴンをカワイイとか能天気なことをヌカす観光客のオバハンをゴジラが箱根のロープウェイ駅ごと叩き潰すわ、もちろん直接的な描ではないんだが、ここまで『絶対死んでるよ』的な怪獣被害の描写はついぞなかった。普通そこはギャグにするだろ、みたいなポイントでもとにかく殺す。善良とはいえないけどどこにでもいる罪のない市民の命がもう紙よりも軽く飛んでいく。感受性の強い子供なら、絶対ここでウナされるだろうな。

だが、オトナがそんな所でウナされちゃいけない。実は真に怖いのは別のポイントだ。

若干のネタバレになるけれど今回のゴジラや怪獣は設定的には一種の妖怪で、特にゴジラは太平洋戦争の戦没者の無念が憑依したという事になっている。また、対戦する怪獣たちも『人間のため』ではなくあくまで日本の国土を守る地霊的な存在である。実はそういう意味では、戦争を忘れ去ってのほほんと国土を汚しながら生きてる我々現代日本人は、全て彼らにとっては誅すべき存在であり『罪のない市民』等というのは存在しないのだ。

この理不尽だけどどこにも文句を持っていきようがない災厄、ってのがオトナにとって怖いポイントだろう。だって世の中そんなことだらけだから。未だマンハッタンの瓦礫の下にはそういう理不尽な理由で埋もれてる『罪なき人々』がまだいっぱいいいるのだから。

そんな理不尽な状況の中で頑張るのがオヤジである。宇崎竜堂演じる立花准将は、妻に先立たれ、一人娘と何となく不器用に過ごすサえないオヤジである。だが、その立花が物語の最終盤、護国聖獣たちもことごとくゴジラに粉砕された絶望的な状況下、自らの手で、特殊潜航艇によるゴジラ攻撃を行うことを決意する。娘の由里はそれを知り、こう問い詰める

「何でお父さんがやらなくちゃいけないの!?」

だが、立花は

「危険な任務だから、他の誰かにやらせろと言うのか?」

と応えるのだ。

泣けるなあ。オイ。

社会人になってある程度責任のある仕事を任された事のある人ならば、まず心に染みるシーンである。オヤジになってくるととな、こういう局面多くなるんだよ、結構。理不尽だろうが責任を果たさなくちゃいかん場面がな。何かのプロってのはそういうもんなんだよな。

そういう意味で、実はこれは父子で見るべき映画だと思う。父親は子供に語って聞かせるべきだろう。なぜ、立花が死を覚悟しつつゴジラに向かっていくのかを。 自分自身の矜持を込めて。

フィルムとしての印象をメモしておく。 脚本は設定を生でベラベラ喋って著しく興を殺ぐ部分があるのと怪獣関連のプロット上のギミックが平成ガメラに似すぎている点がマイナス。あとはキャラクターを絞り込んだこともあってよくまとまっている。
エフェクト関連は怪獣のスーツメーションの上がりがすばらしい。的確に配置されたCGやリキの入った特美が怪獣どうしの肉弾戦をよく盛り上げている。ゴジラ対バラゴンの圧倒的な体格差の死闘が全編の白眉である。今回はポストプロ関連の破綻もなく、レベルは高いと思う。特撮ファンには素直にお勧めである。

なお、今回オトナも子供も怖いポイントとして天本英世を上げておく。

子供泣くぞ。真剣に。

仮面ライダークウガ徒然 (2001.1.21)

 つうわけで最終回に至った仮面ライダークウガである。

映像コンテンツとしての位置付けは、エヴァが確立した「突拍子もない大嘘を、リアルなガジェットで固めて世界観を構築する」、という平成ガメラやウルトラなんかが積極的に取り入れてきたメソッドを伝統の等身大ヒーローに初めて本格的に適用したモノ、と言っていいだろう。

 主人公の図抜けて天然のキャラが「ヒーローらしくない」と賛否かすまびしかったが、どんなに苦しくてもけして笑顔を絶やさず、壁にぶつかってもけして諦めることなく、それを克服する姿は実は非常に正統なヒーロー像であったといえる。

 ただ、一本のフィルムとして見た場合、手放しで誉められない荒削りな部分も非常に多かった。たとえばハイビジョンでの色味を調整しきれていないCG合成や破綻したシリーズ構成、カタルシス不足になりがちなバトル等など。
 特にシリーズ構成の問題は大きい。スポンサーの商品投入スケジュールとストーリー展開の関連が完全にワヤで、何だかずーっと負けつづけの印象を与えてしまった上、少年ジャンプ的な敵のインフレをも呼び起こしてしまい、結果、最強戦士アルティメットの出番がないという事態を引き起こしてしまったのはキャラクター戦略的にも大きなミスであろう。

 そーいう欠点を持ちながらも、1年間目を離せなかったのはやはりキャラクターの作りこみと、きっちりと構築された世界観の魅力、そしてやはり『時代に呼ばれていた』という一点だろう。

 今回敵として跳梁する未確認生命体、グロンギは見事なまでに時代の空気を映していた。  市井に紛れ、ヒトの姿をしながらも意思の疎通はまったくできないモノたち。道を歩いているだけで、理由もなく襲いかかってくる殺意。グロンギは確かに2000年という世紀末に満ち溢れた悪意そのものだ。彼らが何物なのかは終に明かされずに終わりそうだが、実はそういう得体の知れなさこそが彼らの本質なのだと思う。そして、たとえ0号が消滅しても、そういう時代を覆う悪意が消えるわけではないのだ。つまりクウガが挑んでいたのは絶対に倒せない敵だったのだ。だから、雄介=クウガのモットーは「みんなを笑顔にすること」なのだろうと思う。完全に勝つことはできないけど、自分のできることをするよ、ということなのだろう。

ところでネットとか見てると、この辺の謎解きの不備を不満っちゅー声もあるみたいだが個人的には無理に謎解きを物語に突っ込んで物語の緊迫感が損なわれるよりはよっぽどマシである。
 大体誰がクウガの物語世界で謎解きをするのか。デウスエクスマキナとしてのなのじゃよ博士も、高笑いしながら自らの出自を語る未確認も、およそクウガの世界からはかけ離れた存在だろうと思うのだが。閑話休題。

 もうひとつ、クウガでシリーズを通して語られていたメッセージがある。それは「殴った ときのイヤな感じ」、というキーワードである。 まず、アルティメットを考えて見よう。この黒きライダーは、まず間違いなく史上最強の仮面ライダーであろう。何せ、たった数日で万単位の人間を殺戮できる能力を具えているのだ。そう、クウガはダグバと等しいのだから。
だが、かつて、クウガはダグバになれなかった。我々のクウガだけがダグバに等しくなれたのだ。

「こんどは それでリントを ころすのだな」

この台詞は、バラのタトゥの女が一条刑事の銃弾を受けた際に応えた言葉だ。一条刑事は懸命に否定するが「現実」のエピソードでも暗示されていたように、一条刑事の拳銃が本来リントを傷つけるためにあるのは否定しようのない事実だ。もしかしたら我々はグロンギに限りなく近いリントなのではないのか。そんな不安にとらわれる。そしてそれは物語世界の事だけではない。そうなのか?
いや、我々のクウガは泣きながら拳をふるっていたではないか。楽しそうに笑いながら拳をふるうダグバとは違うのだ。そう、我々のクウガは、人を殴ることはけして気持ちのいいことではない事をちゃんと教えてくれているのだ。

「笑いながら拳をふるわない」「ひとのためにできることをする」。けしていいとは思えない「時代」に生きる我々へのメッセージを残して、雄介は確かに青空になったのだと思う。

 でもきっとアギトにアルティメット出てくるぞ(笑)。


ゴジラ×メガギラス(12.18)

今年は面白かったぞ。
メガヌロンとかブラックホール兵器とかどうなることかと思った今年のゴジラ映画だが実に痛快なデキであった。

今年のゴジラの際立った特徴は『ゴジラがゴジラでしかないこと』である。核のなんたらとか地球のうんたらとか生命のかんたらとかの象徴ではなく、ただただ地上最凶のモンスターそのものとして存在しているのだ。
このことで何がよくなったかと言うと、東宝怪獣映画伝統のうざったいお説教に貴重な尺を割かなくて済む、という一点であろう。このため近来の怪獣映画では稀に見るテンポのいいフィルムに仕上がっている。タイトルどおり、ゴジラ、メガギラス、そしてブラックホール砲の3本にドラマが収束されていくのが気持ちいい。元気の良さから言うと平成ガメラシリーズを上回っていると思う。

フィルム全体の印象は、というと『過去のゴジラ映画のガンダムW的なパッチワーク』である。全体の構成は「ゴジラの逆襲」を思い起こさせるし、キャラクター群はいわゆる平成ゴジラのGフォース周りの人物を踏襲しているように思う。そして、ゴジラvsメガギラスの戦闘は正に70年代のチャンピオンまつりテイストのヒーローゴジラそのものである。だが、それでいて決してオマージュとかパロディになっておらず、むしろどんな世代でも楽しめるゴジラ映画になっているのは、評価していいポイントだろう。このあたりゴジラファンの監督が撮った映画らしく、好感度は高い。

今回の対戦相手のメガギラス、ただのトンボかと思ったら強ええの。ゴジラ映画の歴史でも、怪獣王にマットをなめさせた数少ない対戦相手となった。
この手の飛行系怪獣の場合、どうしても生体戦闘機みたいな描写が通例だったんだが、こいつは違う。でけえ虫そのもの。ゴジラにたかって針刺して血吸うわ、空中静止したかと思うとブンブン飛びまわって死角に入るわ、虫嫌いの人間は大いにゴジラに共感できると思う。ゴジラの主観で、視界にいきなり飛びこんでくるメガギラス、なんて絵もあって飽きさせない。
対するゴジラも走るは跳ねるわ、斬撃は繰り出すわの役者っぷりで、キンゴジあたりを愛する人にはたまらないはずだ。

映像そのものに言及しておくと、エフェクト関係は、デジタル合成回りが相変わらず時間不足を露呈しているがミニチュアワークは見事。メガギラスの羽根で切り裂かれたり、ゴジラの熱線でブチ抜かれたビルが一拍遅れて倒壊するあたりはカタルシス充分。本編そのものもハデさはないが、非常に丁寧に作られており、特に特撮部分との繋ぎにほとんど違和感がないのは見事。渋谷湖でのメガギラス出現シーケンスは、この映画の白眉であると言っていい。

で、基本的にはこの映画、『承認』なのだが問題点もやっぱりあるんでそっちも書いておく。
これはまずあっちこっちで言われるだろう点だが、平成ガメラシリーズの影響をモロに出したシーンがけっこうあること。これ関してはもうちょい上手い換骨奪胎がなかったのかという気は確かにするが、これ自体はまあよしとしよう、つーかガタガタ言い出すと平成ガメラ自体がヤバくなる可能性があるから。
実はこの映画で最も問題なのは、フェイクっぷりの不徹底である。今回のこの映画の舞台は54年の時点でゴジラが死んでおらず、機能を失った東京に代わって大阪に遷都がなされた世界なのである。だから、例えば人工ブラックホールが制御できようが空力特性ゼロのアニメ戦闘機がブンブン飛ぼうが『そーいう世界』なんだからっつー開き直れるんだが、それにはやっぱりフェイク度が足らない。
たとえばエネルギーが決定的に不足している世界で、あんなにこうこうとネオンが点いたり、深夜営業の店があるもんだろうか。いや、あるならあるでいいんだがそこに何か「すげえ技術」の介在を匂わせないとダメだろう。それでこそ、いろんなトンデモ兵器の説得力が増すというもんである。さらに言うと、グリフォンとその他大勢のF-15戦闘機の技術水準が違って見えすぎるのも問題で、せめてF-22位にしないと。
発想はいいわけでそれをどう生かすか、という部分の徹底が足らない。これは全編に言えることだけど。センスはいい監督なので、プロットに対してもう少しいいブレーンがいれば大化けすると思う。まあ、そんなブレーンがいたらそもそもSFにカブれた中学生が書いたみたいなシノプシス出て来ないとは思うんだがな。

まあ「キングコングvsゴジラ」あたりを愛でる御仁は必見。これがコけると来年はないらしいので、そーいう意味でも当たってほしいところではある。




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