いつも寄らせて頂いている『求道の果て』の日記の20日あたりに書かれている『世代による萌え差』の話をちと。
まず
>「萌え」について書きましたが、第三世代の方にとって第二世代のワシは、ヲタクとしてどの様に見える のだろうか。忌憚無い御意見を頂戴できればと。
勿論、第一世代や第二世代のヲタク、あるいは一般人や逸般人の御意見も戴ければ幸甚です。
ということについて第一世代の尻尾としてコメントすると、世代がどーあろうが
オタクの消費構造なんて、ひとっつも変わっちゃいないんじゃねーの?というのが個人的な意見である。
今現在『萌え』と言われてる
キャラクター偏愛はヤマトやガンダムの頃からあった。ただ、その当時でもアニメを語るのは作画や脚本、演出といった技術論を語るのが正道とされ、そーいうキャラクターへの愛を語る形でのコンテンツ消費は
『ミーハー』と呼ばれ一段低いものとされていた。そーいうミーハーがいるから下らないロボットアニメばっかりになるんだ、とかな。パンコパあたりから宮崎駿語ってた連中(
ファントーシュとかふゅーじょんぷろだくとの読者連な)なんか露骨に
ゴッドマーズのファン軽蔑してたもんなー。
これって
『萌えギャルゲーなんてゲーム性がねーからクズ』『ギャルゲーがあるからドリキャスダメになった』ちゅーゲーマーと構造一緒で、もーそーいう意見をWebなんかで読むにつけ
口の端を歪めて笑うしかないです。
実は、この話の端緒になっている
『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 』(東浩紀 講談社現代新書)の論考の疑問点がこの辺に見えたりするのだ。
知ってる人は知ってると思うが、件の本ってのは思想書でありながら
雫やらでじこやらAirやらの図版が乱舞する、ちゅーことでオタク界隈でちょい話題になっている本で内容はというと、『萌え』を中心としたオタク文化をポストモダン思想の文脈で読み解く、という趣向。ちなみに『動物化』というのは、
『与えられた環境に抵抗することなく調和して生きていく消費者』という意味合いでけして
オタクはみんなケダモノであるということではない。
この論考のコアとなるのは90年代以降のオタク消費を、巨大な一元的情報群から自分の消費する情報を選び取る、という
『データベース型消費』とする定義である。かいつまむと、ギャルゲーなんかの萌えパターンてのは一種の定型があって、オタクはそれに対しての順列組み合わせを消費することを選択している、という部分ことである。
いやこの消費構造自体の認識には賛同するんだが、これが『90年代以降』とか書かれるとちと
ハァ?となる。
確かに、この傾向がいわゆるオタクメディアとして台頭してくるのは90年代以降だ。だが、そこに実は重大な錯誤がある。どういうことか。
冒頭で東はオタク文化を『虚構への志向が強い』と括っているが、ほんとうにそうなのか。『オタク』の名付け親と言われる中森明夫はそのペンネームを見てもわかるとおり本来はアイドル歌謡をメインのフィールドにしていたライターだ。また、本書中でも言及されている村上隆のコラボレーションの仕掛け人の一人であるあさのまさひこも、モデルグラフィックスで
『モモコ・キクチ中尉専用マラサイ』なんぞをやらかしていた重度のアイドルマニアでもあった。80年代前半のオタクシーンというのは、アニメだけではなく、実は
アイドルタレントをも大量消費していたのだ。この『アイドル』というコンテンツは正にデータベース型の消費そのものではなかったのか。
アイドルタレントというのは今のモームスなんぞを見てもわかるとおり『オトコの好きなタイプ』のフォーマットの順列組み合わせである。そこには最初から
消費すべき世界観や物語は存在しない。ただ単に事務所やレコード会社から提供されるプロフィール情報や商品情報の蓄積があるにすぎない。消費者は、雑誌のグラビアやライブの映像、CDなどから
『自分の好みの女のコ』としてのアイドルタレントを脳内で形成してハァハァしていたのだ。
『おニャン子クラブ』は、そういう意味でキャラクターのバリエーションを一気に増やした、
アイドルの『同級生』でもあろうか。順序逆だけど。ちなみに当時
『城之内早苗が好み』とか言って驚かれたのはこのオレだ。いーじゃん。あーゆう地味でダサ目の娘好きなんだよ。閑話休題。
さらに言ってしまうと、オタクが好むものには、鉄道、車、ミリタリーと言ったメカニックな諸々もある。これらも、元々世界観とか物語とかが存在せず、スペック表という情報のプールが存在するだけである。必然的にデータベース型の消費を取らざるを得ない。
要するに、
オタク文化というものは実は最初っからここでいう『データベース消費』を内包していたのではないか。それが、コンセプチュアルにマーチャンダイズされたのが90年代のエヴァ以降(というよりは『ときメモ』以降かもな)、というのが正しいオタク史観ではないかと思うのだが。
やっぱり第一世代の唐沢俊一が、常々エヴァに対するオタク外コメンテーターを批判して言う言葉に
『エヴァがいきなり現れたわけではないのにその事をリサーチしようともしない』というのがあるが、これは東の今回の力作にも当てはまってしまう部分があるんじゃないのか。
とは言え、オタクカルチャーの正史については
リファレンスそのものが存在しない以上、それを第一世代が責めるのはフェアーではないだろう。個人的にもそろそろ色々書いといたほうがいいのかなあ、とも思う。
黒歴史化する前に。
というわけで
河合理佳ちゃん萌えなのでときメモ3に戻るとするが(駄目やん>オレ)、最後にもうひとつだけ、やぱし、らじ氏の
>萌え萌えな人よりむしろ、古い ヲタクの方がキャラを偏愛しているような。執念深く。
だけど、そりゃあ、大東亜戦争生き抜いたおじーさんが『米残すな』とゆーのといっしょですがな。