おたじ 〜Raod of Otaku/OTAku oyaJI is No Dead!〜
日々雑事
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旅路(11.05)
オレが生まれる前からあるっちゅーことは、だいたい日本人の半分以上が知ってる雑誌に小学館の学習雑誌(小学X年生)ってのがある。こいつの5年生の12月号の表紙に踊る文字が「誌上限定発売ゾイド」ともうひとつが「TDLで恋人ゲット!」。チャイルドなホビー系とアダルツなラヴ系の見事な並存。
ちなみに6年生になると、特集は「笑う犬の生活」とかになってて、もうティーンエイジャー向け雑誌つう風情。一応限定ゾイドは買えるんだが前面には出ていない。
してみると今時の子供の人生の第一の岐路ってのは11歳だってことなのか。ここでゾイドに惹かれちゃうときっとこーいう人生への一歩を踏み出してしまうんだろうなあ。振り切ってTDLで恋人をゲットするようにならんといかんのだろうなあ。シビアだなあ今時の11歳。
しかも今って、一度入りこんじゃうとこっちの道から出る契機を失っちまうんだよなあ。昔だと、ホビー系だったらキャラ物なんかほんっとチャチなオモチャばっかしで、ある程度の腕になったらスケールモデルに移行せざるを得なかったんだけど、今だとHGUCからMG、PGとガンプラだけでホビー人生半分くらい完遂できちゃうからなあ。余談だけど高校ん時にメッサーシュミットだったかのプラモ買うとこ反戦サヨクな同級生に見られて、翌日自己批判を30分にわたって要求されたことあったぞ。閑話休題。
映像ソフト関係だって、今っていっぺんアニメファンになっちゃうとアニメ以外のコンテンツを消費するヒマとか金とかなくなっちゃうんじゃないのか。この状況っていいことなのかどうかってのは実はちょっと判断しかねる部分があるのだ。
オタク人生の楽しさって結局のところ情報量によるとこが実はデカいんじゃないかと思うのだ。ガンプラでもゾイドでも現実の兵器の事を知ってた方が改造とかきっと楽しいし、ゲームだってアニメだって、映画や小説やその他雑多な知識があった方が色々語れる事増えるんで、オタクとしてのステータスはオンリーで消費してる連中より確実に上がると思うんだけどな。まあたいがいのネタはカリブの海賊を行列して待ってる時に語れるネタじゃないんで、モテ系からはさらに遠ざかることになるのが問題かもしれないが。
こー考えるとオタク人生って実は生涯勉強しなきゃいかんってゆー割と辛い路なのかもしれぬ。
そこでゾイドを選ぶな11歳。
先日(11月18日)の日経の記事によるとスクウェアと集英社が合弁でプレイオンライン上で「少年ジャンプ」を読ませるサービスを始めるそーである。一応今んトコ発売日前週の土曜日には読めるようになるらしい。
ああ、何でもeコマースになるもんだねとかいうのがとりあえずの感想だけど、これって、ちょっと考えただけでもかなりヤバげなコンテンツなんでないのか。とりあえず、今思いつく問題点を挙げてみるぞ。
まず、間違いなく作品の視認性は落ちる。
第一に単純なデバイスの問題。手元にあるマンガ雑誌をなんでもいいから今のモニタ位置に置いて見るとわかるが、セリフや絵のディティールが非常に見辛いはずだ。要は、(こんなことは自明なのだが)本とモニタでは、視認するための適正な距離が決定的に違うのだ。で、プレイオンラインってことはPS2経由、ご家庭のテレビってことも考えられるんだが、TVに対する着座位置で、満足に読めるもんか?
これをもし、ちゃんと見ようと思ったら、ブラウザで拡大してスクロールしながら見る、という事になるだろうが、今度はそうすると視点の流れ、という問題が出てくる。
我々はマンガを読む際、実は個々のコマを読む前にページ全体を見て読む順序を確認する、という事を無意識に行っている。だから、コマの流れが多少変則的でもちゃんと内容を把握できるのだ。ちなみにこれは後天的なもので、外人には日本のマンガの読み方が最初さっぱりわからないらしい。閑話休題。ともかく、マンガというのは、読む際にページ全体が見えてないとマズいコンテンツなのである。
こういうことを諸々考慮すると、『雑誌用に書かれたマンガを読む』という行為に於いてWebブラウザに表示させる、と言う事には何の益もないという結論になる。
そうなると、ウリは「1日早く読める」という事だけだが、こっちも大消費地のほとんどでジャンプが月曜発売であることを考えると『たかが1日』であって、これにメリットを見出せるのはオタクか小学生だけであろう。前者はWebで、後者は学校で情報自慢するために、って考えたら土曜だと翌日休みで結局月曜発売の地域じゃ速報性がほとんどねーぢゃん。
ちゅーことは、これってば劣悪なインターフェースをものともせずにアクセスしてくれるオタクが相手つーとってもピンポイントなコンテンツになりそうだと思うんだがどんなもんだろうか。
とまあ、素人考えでもここまでシミュレートできちまうコンテンツなんだがひょっとして何か驚天動地のアイディアでもあるんだろうか。まあとりあえず予断をせずに(充分してるが)ウォッチしてみようとは思う。
で、ちょっとだけ予断してみるが(いきなりか)、これってどう見てもマンガもWebも真剣に触ったことがない、それどころかバカにしきった企画屋の頭の中から湧いて出てきたコンテンツなんじゃないのかねえ。そういう志で作られたコンテンツの屍なんかいくらでもそのへんに転がってると思うんだがなあ。IT商売なんて、そんなに甘っちょろいもんなんかねえ。
今週の、雑誌『AERA』(朝日新聞社)でちょっと興味深い記事が掲載されている。題して「オタク衰退の悲劇」。
記事の趣旨は、ワンフェスのリセットをマクラにオタクカルチャーがひとつの終焉を迎えつつあるのでは、という点で岡田斗志夫や宮台真治をコメンテータとして据えている。 記事内容を要約すると最近の若いオタクモンには表現に対する欲求や、自分がオタクであることの鬱屈がなく、消費するだけになってしまった。オタクはもう終わりだろう、というような趣旨だ。まあなんちゅーかメシを残す孫にこんこんと説教する焼跡闇市派のじーさんみたいでつくづくオタクも経済成長したもんだよなあ、とか思う。
まあ、コミケやワンフェスやヤフオクの様を見るとこーいう説教をカマしたくなるのもわからないではないが、ってゆーかオレも『ちょっとそこに座れ』とか言ってこみパの南さんシナリオがシャレじゃなかった時代の話とかしたいぞ。板橋のナールと池袋の六股ん所の印刷所(名前失念)しか選択肢がなくてさあとか語っちゃえるぞ。
ただ、ここで言ってることがオタクの衰退っつー事象に結びつくかどーかははなはだ疑問である。
まず、造り手側に人が行かない、という事。これは確かに問題だが、これは創作意欲が衰退してるというよりも、同人誌やWebといったメディアの簡便化によって、いわゆるプロの造り手に回らない形で発露していると考えるべきだろう。また造り手の現場が、現在のシステムでは労多くして利の少ないものとして認識されてしまっていることも原因のひとつだろう。つーか今時サクセスストーリーのひとつも提示できない業界が若者のモティベーションに期待するのは思いあがりもはなはだしいと思うぞ。
それから確かにオタクそのものは経済圏として成立していて、一見社会的に受け入れられたように見えるが、Webの掲示板なんかを見て回ってもオタクというのはまだまだ嫌悪され、排除されるべき存在であって、そういう意味でまだまだオタクをやるということは社会的な抑圧を免れ得ない。『鬱屈や屈折がなくなった』というのは極めて皮相的な見方だろう。
じゃあ、オタクはどうなるのかというとどうもならず、このままダラダラ行く、というのが正解ではないかと思う。なんでそう言えるかというと、オタクというのは、結局のところあるコンテンツに対する消費の方法論でしかないと思うからだ。
この世から美少女ゲームが全部なくなったとしても、多分萌え萌えな連中はドラクエやFFやひょっとするとサンバdeアミーゴやテトリスでだってエロ同人誌を作るだろう。オタクがそーいうもんであるかぎり、オタクはいなくならない。絶対に。
仙台で、先日ゲームセンターが一件店を閉じた。あ、中央通のABCです。>地元民
このゲーセン、何がすごいって仙台駅近辺で1、2を争う古参のアーケード(確かギャラクシアンの頃にはもうあった)だったにも関わらず、どういう信念か、単にケチだっただけか、創立以来一度も根本的な改装をしていなかったのだ。
そう、あの薄暗い阿片窟みてえな不健康な雰囲気を最後までキープしていたレアなスポットだったのだ。
今でこそゲーセンって明るくてパラパラ踊るおねーちゃんから、気弱なギャルゲーオタクまでが出入りできる、明るい健全スポットだが、インベーダーハウスと呼ばれていた創世紀は薄暗い照明の下でドギついドット絵と単調なSEに彩られたゲームを黙々とプレイする今から思うとひでえ怪しげなスポットだった。ちなみに、照明が暗かったのは別に不良のカツアゲを幇助するためでなく、当時のテーブル筐体は真上から照明を当てると画面が光ってよく見えなかったのだ。
まあそんなこんなで、ちょっと感慨にひたるオレだったが、やっぱゲーセンは明るいほうがいーし、ってなわけでしばらく行ってなくて、閉店間際に行ったらフロアの真中に卓球台があって終末感がひしひしと伝わってきた。もうこういうゲーセンは流行らないだろうし、流行ったらそれはそれでイヤではあろうな。墓地のことを「心地よく秘密めいたところ」と表現した作家がいたけど、これはあの頃のゲーセンにこそふさわしい表現だったかも。
とまれ、あの時、あそこで無駄使いした青春といっしょにひとつのスポットが消えていく。後悔なんざするガラじゃないが、あの妙に居心地のよかった薄暗がりに戻れたら、とかはふっと思った。歳取ったかね。
閉店の翌日、店から筐体が運び出される脇を通りすぎた。あの日のギャラクシアンの面開始BGMが、ちょっと聞こえたような気がした。
184点。
8月18日23時時点でヤフオクにて「みつみ美里 」で検索した結果である。大半は無論、出品者が他人を(文字通り)踏み付けにして購入した夏コミの新刊である。ここではなく、一般のショップ等に流れたモノを勘案すると下手をすると総発行部数のうちおそらく300部近くが、みつみさんのファン以外の手に流れたことになる。そう。こいつらはコミケちゅーか即売会の本義からすれば会場にいちゃいけない連中なのだ。
いや別に需要と供給のあるところに商売が成立するのはいいんだがな、こいつらのためにコミケがなくなったりしたらたまらんからな。そこでだ。どうせこいつらはコミケに来たいんじゃなくて「仕入れ」に来たいわけだから、壁サークルの本の何冊かを同日に別の場所で売るのはどうだろう。
いやどうせ仕入れに来るだけの連中だから、そんな立派な場所なんかいらんな。南与野駅のガード下あたりでパートのおばちゃんでも雇って売ればいいんじゃないか。別にモノがありゃいーんだろ?転売屋の方々は。
いや別に商売はかまわんよ。マジで。ただな、こっちが20年以上かかって築いてきた諸々をあんたらの小銭稼ぎで潰してほしくねーんだよ。マジで検討求む。