Walk On The Way
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空から見ると、この大地はほんとうに白い。 ベルト着用のマークが点灯している旅客機の窓から見える地上は、粉砂糖をたっぷり まぶしたケーキのようにすら見える。そのケーキのただ中を目指して、私を乗せた旅客機 はアプローチを始める。ほどなく軽い引力の感覚に続いて、足元からの震動。羽田発・旭 川行の旅客機は定刻通り到着した。客室乗務員のていねいなおじぎに出迎えられ、私は半 年振りにこの空港に降り立った。 荷物の受け取り口で『Suomi Kitano』のタグの付いた荷物を取り上げる。この名前とは 一週間ほどお別れだ。ここでは私は『北野スオミ』になるのだ。 妙にざわついた感じがする空港ロビーを出て、市内行きのバスへと乗り込む。前に来た 時とは違って、今回はこちらで世話になるおば様に迎えを頼まなかった。多忙なおば様の 手を煩わすのは本意ではない、ということもあったが、何よりも今回は滞在中に空港から 市街地までの道をナヴィゲートする予定があるので、途中の様子を自分の目で見ておきた かったのだ。 そう。また、この街で逢うことができるのだ。彼と。あのひとと。 そんなわけで車窓から雪景色を眺める私の耳に車内の人々の会話が入ってくる。成田から 羽田、そして旭川を経てようやくこの異国のことばが半年前と同じ感覚で聞こえてくるよ うになっていた。 「ただでさえお祭りでゴチャゴチャしてるときに来なくてもねえ」 「あの人はカッコつけだから」 誰の話かと思ったが、どうやら日本の首相、コイブミさん?コイズミさん?といったろうか。 その人が近々旭川を訪れるのだそうだ。ちなみにラブ・レターという意味の名前の首相と いうのはロマンティックでいいですね、と言ったら、あの人は国際電話で20ユーロセント 分ほど笑いつづけていた。 私は心からそう思ったのだが何か変だったろうか。私はそれをずっと楽しみに日々を過 ごしていたというのに。 やがてバスは、私にとって2度目となる冬の街に着いた。バスを降り、駅前の広場へ出て みる。街は去年と同じ、冬のしるしである白いものをあちらこちらにまとっている。けれ ど、その姿は去年よりずっと鮮やかに見える。理由はわかっている。去年のいま頃の私は カラッポだったから。 あの頃私は、体と、なによりも心に負った傷から全てが抜けてしまっていていた。その 傷を癒し、再び私の中にいろいろなものをもう一度満たしてくれた人がいた。 そして、この街でまたその人に逢える!その人との思い出が詰まったこの街で!それだけの ことで、去年と何も変わっていないはずの景色なのに、虹色に輝く宝石の粒で覆われている ようにすら見えてくる。 何だか可笑しくなった私は、子供のように道端に残った雪に足を踏み入れてみる。足の 裏に異国の雪の感触が伝わってくる。不思議なもので、雪は雪であるはずなのに生まれ 故郷のそれとはやはり何となく違っている。ここは遠く離れた土地なのだと、言葉よりも 何よりも強く感じる。 バッグを降ろし、そのままスキップするように歩いてみる。2、3歩。4歩目か5歩目。突然、 私の靴底は凍った雪面から接触を拒否された。 つまり、滑った。 「!」 だが、私の身体は自然に片足でバランスを保ち、そのまま滑走していく。ちょっとの間 だけ、顔に当たる冬の大気が冷たさを増す。そうして、少しだけ大きな足跡を雪上に刻み つつ静止すると、何事もなかったかのように私はまた両足で立つ。そのままこのちょっと したトレックをもう少し楽しむ、つもりだったのだが、気付くとどうも周りを歩いていた 幾人かの人たちがこちらを見ているようだった。 忘れていた。お母様からの素敵な贈り物であるこの髪と瞳の色は、この国ではただでさえ 目立つのだった。その上、こんな『オテンバ』なことをしてしまったのだから注目を浴びる のは当たり前だ。 どんな理由でか少し熱くなった頬といっしょに、私はその場から急いでタクシー乗り場 へと向かった。 それにしても・・・ あの時、私の足が感じていたのは、今履いているはずのブーツの感触ではなかった。別 の種類の靴の厚い底と、その中心に存在しているブレードのそれだった。 肉体の一部を喪った人たちは、あたかもその部位が未だ存在するような感覚にとらわれる 事があるというが、それもこんな感じなのだろうか。根拠はないが何となくそんなふうに 思った。 やはり私は、『帰りたい』と願っているのだろう。あの場所に。二度と帰れないと思って いた、あのリンクに。 それはずっと、ぼんやりととどまっていた想いだった。 そして、あの夏をあの人と過ごしたあたりからだんだんと、そして半年前故国に戻り、 私が止めていた時間の間もずっと銀盤の上で舞い続けていた友と再会した時から、その思 いははっきりと形になっていた。けれど、その願いに私の心と身体は完全にこたえてくれ ない。もう少しのところで踏み出せないのだ。 私はどうすればいいのだろう。この戸惑いは、まるで学校の黒板に書かれた課題のよう に私の中に書き付けられていた。
私が小走りで乗り場につくと、折りよく一台のタクシーがやってくる。乗ろうと近づい た私の顔を見ると、運転手さんは一瞬目を丸くし、少し考え、ドアを開けた。後部座席に 私が乗込むと、年配の運転手さんは、何か宿題を忘れた子供のような顔をしながら口を開く。 「あー、あい きゃんのっと すぴーく・・・」 この国に住みはじめて、何よりも面食らったのは気候や食べ物よりも、ほとんどの人が 私に語りかけてくる、この、何語ともつかない不思議な言葉だった。 私のような髪と瞳の色は、まずアメリカ人だと思われるという事は後から聞いて知った。 そこでやっと、それが英語らしい言葉を何とか喋ろうとしているのだということを理解した。 正直それほど気分のいいものではない。だが、これはこれで異国の客に対する気配り なのだから目くじらを立てるわけにもいかない。そんなわけで私は数え切れないほど言った フレーズを口にする。 「だいじょうぶです。日本語はわかりますから」 「あ・・・あああ、どうも申し訳ありません」 宿題を忘れた子供が、あまり叱られなくてすんだような表情になった運転手さんに、私は 行先である叔母の家の近所の住所を告げた。 「失礼ですがどちらの方ですか?」 車を駅前から大通りに進めると、運転手さんが語りかけてくる。 「フィンランドです」 「・・・・ああ・・・サンタクロースのお国ですよね。確か」 「はい。よくご存知ですね」 まあ、これも慣れた反応だ。というより、サンタクロースの話が出るだけマシというべき かもしれない。人魚姫のことを聞かれることも少なくなかったりするのだ。 「やっぱり冬まつりの見物ですか?」 「はい。こちらに知人がいるものですから」 親族がいる、などとうっかり口走ると、両親のなれそめはもちろん、下手をするとヴァイ キングの上陸あたりから家系を説明するハメになることもさんざん経験済みだった。 「ああ。そりゃあいいですね。ゆっくりご覧になってください。冬の北海道もいいものですよ」 「はい」 そんな会話を、信号待ちで止まった交差点を走っていく車のラウドスピーカーが断ち切る。 音割れしていて私のヒアリング能力にはいささか辛いのだが、かろうじて『ハンターイ』 という声だけが聞き取れる。 「いやあ、せっかく遠いところから来ていただいて申し訳ないんですが、今どうもいろいろ ゴタゴタしてましてね」 運転手さんがすまなそうに言う。 「いえ」 大体のことは新聞や、あの人からの説明で把握していた。 去年、大きな戦争があった南の砂漠の国の再建に、日本からも軍隊が赴くことになり、 この街の基地の部隊がその仕事にあたることになった。だが、それについて国民の間に賛成・ 反対の意見が入り乱れているらしい。あれもたぶんそういったアピールなのだろう。 しかし次に過ぎていく『ホンジツロクジヨリ デダマカイホー』、というのが何の政治的 アピールなのかはわからなかった。勉強不足だ。 勉強不足といえばとお父様から伺ったのだけど、確か日本では軍隊とか軍人と言っては いけないらしい。 だが、私の中には、街で時折見かける制服姿のあの人たちの事は『軍人さん』、その所属を 表す言葉はやはり『軍隊』しかない。お父様からはいろいろ説明をしていただいたのだが、 わかったようなわからないような、果たして説明なさっていたお父様もわかっていらした のかどうか、そんな感じだった。 「この国もいろいろと問題がありましてねえ」 「いえ。それはどこでも同じですから」 「そんなもんですかねえ」 ヘルシンキの家ではおそらくお父様が世の中にボヤかない日の方が少ないだろう。特に 税金の支払には頭を痛めていらっしゃるようで、一度など『早死にするから、年金ぶんの 税金負からないかねえ』とまでおっしゃっていた。 もっともその直後、お母様に『冗談でもやめてくださいっ!』とひどく怒られて、それ 以降ボヤきの頻度はいくぶんか減ったようだが。 いずれにしろ、私はこの国の問題をまだ、自分のこととして考える立場にはなっていない。 信号が緑になり、また進み始めた車の車窓をぼんやりと眺めながら思うともなしに思う。 え?私は今何を思った?。 『まだ』? ということは、自分は『いつか』この国のことを考える立場になるつもり、なのだろうか。 それは、多分私にとってたったひとつのこととイコールなはずだ。 また、答えの出せない課題が心に書き付けられた。
叔母さんの家は市街地からは少し外れた場所にある。駅前からは車で10分ほどだろうか。 木造で、このあたりでは古くからある家なのだそうだ。日本語で『キュウカ』だそうだから 休みを過ごすのはちょうどよさそうだ。あ、今のは別にダブルミーニングではない。その くらいはわかっている。確かこういうのを『オヤジ・ギャング』というのだ。かなり物騒 な表現だと思うのだが、ユーモアがあまり好まれないこの日本では、こういう発言はそれ ほど犯罪的なのだな、と改めて感じる。 チャイムを鳴らすと、「はーい」という声と足音に続いて日本式のスライドドアが開き、 おば様が顔をお出しになる。 おば様は、お父様やお母様といくつも違わないはずのだが、それほどお歳を召している ようには見えない。以前、その事について『にわかづくりですね』と、大変失礼なことを 言ってしまったことがあった。もちろん、おば様は笑って許してくださったが。 「こんにちわ。また、お世話になります」 「あ、いらっしゃーい。まってたわよ」 「ありがとうございます」 私は靴を脱いで、家に上がった。木造の日本家屋独特のひんやりとした空気が私を包む。 もちろん生まれ育った故郷の家が一番なのだが、この家の、この清涼感も私は大好きだった。 タタミが敷かれた居間に通された私は、おば様から出して頂いた日本茶と大好物のシュー クリームを半年振りに味わった。これだけでもう、今回の旅の目的を半分くらい果たした ような気になる。おば様は、そんな私を優しい目でご覧になりながら、 「ずいぶん明るくなったわね」 「そうですか。ありがとうございます」 母国に帰ったあと、逢う人逢う人みんなにいわれた言葉を、今度は日本語でおっしゃって くれた。もちろん、嬉しいことに変わりはない。 「お父さんお母さんは元気?」 「はい。父も母も元気すぎるくらいです。この間も・・・」 私はおば様に、お父様お母様の近頃の御様子を話してさしあげた。おば様はそれを興味深 そうに、可笑しそうに聞いてくださる。そして、その笑顔をちょっと魔女のおばあさんみ たいにすると、今度は 「で、日本まで彼氏に逢いに行く、って言ったらどんな顔してた?」 と、突然おっしゃられた。私の心臓は、あまり高くないこの部屋の天井を突き破って、 そのまま空まで飛び上がった。 「カレシ・・・じゃないです。彼、オトモダチ」 なるべく冷静に答えたつもりだったのだが、ブロークンになった日本語がその試みの失敗を 告げていた。おば様はまた、可笑しそうにくすくすとお笑いになった。 「あ、でも・・・」 心臓が空から戻ってくると、私はそれを言った時のお母様のお顔とお言葉を思い出した。 「?」 「『リンゴの実は樹の遠くには落ちないものですね』と、母からは言われました」 「どういう意味?」 「フィンランドの諺です。日本だと『カエルの子はカエル』という諺が近いと思います」 「あははは。なるほどねー」 おば様は、何事か納得されたようだ。私は照れ笑いで応えた。そうしながら、私はその時の お母様の、なんとも言えない表情と口調を思い出していた。
「まったく、リンゴの実は、樹の遠くには落ちないものなのね・・・」 そう言ったきり、お母様は夕食の用意のために台所へに行かれた。そして、お戻りになった 時には赤い眼をしておられた。『料理の下ごしらえでタマネギを刻んだ』とお母様はおっ しゃっていた。 しかし、それからタマネギを使った料理が食卓に上ったのは3日も後のことだった。 娘の私が言うのも何だが、お母様はウソがとてもヘタだと思う。
夕食とお風呂。半年振りの日本式をふたつ堪能した後、私は用意していただいた(という よりも以前ホームステイをしていた時に使っていた)寝室に入った。 お父様がまだ日本にお住まいになっていた時のお部屋だそうで、基本的に伝統的な日本 家屋であるこの家で、ここだけは床を板張りに改装し、ヨーロッパ式のベッドを入れて あるのだ。 パジャマに着替え、ベッドに腰をおろすと旅の疲れが染み出すように涌いてくる。寝る には少々早いような気もしたが、私は灯りをナイトスタンドだけにして、寝床へと潜り込んだ。 ほのかなオレンジ色の光に浮かぶ板張りの天井を眺めているといろいろな事が浮かんでくる。 友と抱き合って流した涙のこと、その時に見た銀盤のまばゆい輝き。私の今回の旅を告 げた時の両親の驚き、そしてお母様の表情。けれど、何より強く浮かんでくる、ずっと 手紙と電話の声だけで繋がっていたあの人の笑顔。 夏にあの人と別れた時、私は17歳だった。そして離れている間に18歳の誕生日を迎えた。 自分自身の未来を選択しなくてはならない年齢になったのだ。17歳の時に私を救ってくれ たあの人は、18歳の私を見てどう思うだろう。 そんな泡のような思考のかけらが浮かんでは消える。お父様もこのお部屋で、同じ天井を 見て、同じような事をお考えになっていらっしゃったのだろうか。 「リンゴの実は、樹の遠くには落ちないものなのね・・・」 お母様のお言葉を意識の奥で聞きながら、私は眠りの坂をゆっくりと転がり落ちていった。