夢魔
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あ・・・来てくれたのね。 うれしい。 もちろんよ。決まってるじゃない。 ・・・・・・・・・ どうしたの? ・・・・え・・・? どうして?なんで!?・・・・ ・・・・・・・・・ ! そんな・・・そんなこと・・・ あたしだって・・・あたしだって 好きで一人だけ残ったんじゃない! あなたといっしょにずっといたかったのよ! それを・・・ ・・・・・え? つれていって、くれるの? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・うん。行くわ。 あなたといっしょだもの。 いっしょに行けるんだもの・・・・ ・・・あしたの、放課後。 ・・・・わかったわ。約束する。 今度こそ、ずっといっしょだって。


「来たか!」 時計が夜中の2時半を告げる。昨夜と同じ時間だ。やはり『モノ』の大きな気配。眠気覚 ましにしていたブラックコーヒーのカップを床に置くと、芹華は窓に向かう。今夜は『張 って』いたのだった。 「・・・出やがったな・・・」 確かに、街の中空にわだかまる『モノ』が見えた。だが、それも瞬く間に消滅する。 芹華は外に飛び出した。『モノ』が見えた方向に、水銀灯に蒼く照らされた路地を走る。 やがて、芹華は住宅街の中心の閑静な一角で立ち止まる。 「このあたりだったはずだが」 息を整えながらあたりを油断無く見渡す。だが、相手はどうやってか気配を完全に消し去 っていた。周りには街灯、そして月明かりが作り出す庭木、家々、そして芹華自身の影が あるだけだった。 「ちっ!逃げ足だけは一流みたいだな」 ほとんどテレビアニメの悪役みたいな事を言いながら、芹華はふ、とそばの大きな屋敷の 表札に目を止める。 和泉 「和泉・・・だと?」 全てがどこかで繋がろうとしていた。妙に生ぬるい風が吹き始めていた。
朝のTVでは『低気圧が近い』とか言っていた。 翌日の放課後は、晴れていることは晴れているのだがどこかどんよりと重かった。 そんな午後の生徒会室。男子生徒が一人で資料整理をしている。 「よう!」 「あ、神条さん。どうしたの」 「いや、ちょっと通りかかったら、おまえが寂しそうにしてるからさ」 「あ、まあ大した事はないからね」 芹華は部屋を見渡す。こちらにも和泉はいない。教室にいないのは先ほど確認済みだった。 「そういや、今日彼女はどうしたんだい?またフられたのかい?」 芹華は笑顔を作りながら聞く。 「だから、違うってば。いやあ和泉さん、何か急に立ちあがって『行かなきゃ』・・・っ て言ってそのまま出て行っちゃったんだ」 「あはは、やっぱりフられたんだ。で・・・それからずっと延々一人かい」 「いやあ、今さっきだったから延々ってほどじゃないよ」 芹華は目を細める。 「・・・そうか。じゃあ、あたしも仕事・・・いやヤボ用があるんで」 「あ、じゃあ、また明日」 「・・・・ああ・・・また、明日、な」 去り際、芹華は生徒会室の入り口で、ちょっとだけ立ち止まり、視線を走らせた。 「どうしたの?」 「・・・いや、なんでもない。それじゃあな」 ・・・明日・・・か。明日、自分はここにいるのだろうか。ここに戻ってこれるのだろう か。また・・・・逢えるのだろうか・・・よそう・・・今は・・・。 思いを吹っ切るように、芹華は走る。それほど時間が経っていない。和泉はまだ近くに にいるだろうか。校庭に出るとあたりを見回す。放課後の事とてクラブ活動の掛け声や、 家路につく生徒たちの談笑する声がそこかしこに満ち溢れている。芹華は気配を感じ、空 を見上げる。 「あれは!」 どんよりとした雲がかかりはじめた空、校庭の一角の中空に、モヤのように黒い影がわだ かまる。校庭にいる生徒たちには見えていないはずだ。だが、それを黙って見上げている 人影がある。和泉穂多琉だった。黒い影は、ゆっくりと和泉を先導するように移動してい く。和泉はそのまま校門をくぐり、街中へ向かっていった。 「このままじゃ手が出せないな」 影から感じるパワーはそれほど高くない。能力的には雑魚の部類だろう。だが、街中で白 昼堂々立ち回りを演じるわけにもいかない。とりあえず後を追って機会をうかがうしかな かった。 和泉は1時間ほど、商店街や公園をあてどもなくさまよっていた。ときおりうっすらと笑 みを浮かべている。芹華は、和泉に異変が起こったらすぐに駆け寄れる程度の間合いを開 け、つかず離れず尾行する。『モノ』は明らかに和泉の心を捉え、何かをしようとしてい た。 やがて、空が暗くなり始める。街を歩く人は、下校途中の学生から夕方の買い物をする主 婦や仕事帰りのサラリーマンに入れ替わりはじめていた。それを見て取ったか、和泉は繁 華街の人ごみを離れ、町外れに向かって行く。 「あっちは確か・・・河川敷じゃないか・・・ふん。そういうことか」 芹華は和泉に目を配りながら別の路地に入っていった。

またこうしてあなたと街を歩けるなんて。 とってもうれしいわ。 うん。 わかってるわ。 今日はいっしょにいく。 どこまでも。 あなたといっしょに。 どこまでも。 どこまでも。


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《それ》は、何かのはずみで生じた歪んだ意識の塊だった。はじめはほんの小さなもの だったが、時間をかけて成長してきた。糧は、人の魂。 もっともっと餌を喰らい、大きくなるため、《それ》は力を身につけた。力自体は大し たものではない。人を傷つけることも、モノを壊すこともできない。 だが、それは人にとって最も恐ろしい力だった。 『心』を映し出す。鏡のように。 人は、自分の奥に眠る欲望や恐れ、そしてかなわぬ望みに誘われ、《それ》に魂を食わ れていく。いくつかの町で哀れな犠牲者を喰らい、そして、次の獲物を探してこの街に現 れたのだった。 今、餌食にしようとしているこの娘は、けして還らぬ命への執着、憧れ、後悔、そして 罪悪感に惹かれている。もう少しだ。 《それ》はほくそ笑む。そして、夕闇の落ちたこの川面の、深みの上に自らを浮かべる。 魂を奪うだけなら他の方法はある。だが、あまりにも強い衝撃は魂そのものを傷つける ことがある。その点、水にゆっくり沈んでいってもらえればきれいな魂を喰らうことが できる。 そら。もう少しだ。早くこっちに来い。娘が、河川敷から河に向かって歩きはじめる。 表情は安らかに笑っている。悦楽のうちに死なせてやるのだ。自分の何と慈悲深いことよ。 《それ》はもう一度ほくそ笑もうとする。 <!?> だが、その刹那、娘はまるで糸が切れたように崩れ落ちた。 娘の背後の暗がりから何者かが現れる。人間、女だ。娘と同じ年頃。こっちを鋭い目で 見据えている。見えるのか?人間なのに。 「待ってたよ。悪いが、この娘はてめえの花嫁にゃもったいない」 芹華は、その『モノ』の狙いが和泉の生命であろうと目星をつけていた。だが、それなら ば街中、いや学校ですらいくらでもチャンスはあった。だが、それをしないということは、 おそらく和泉の肉体が傷つくことを嫌ってのことだろう。妙な言い方だが、そういう『趣 味』がある『モノ』というのは意外と多いのだ。 で、あれば。肉体の損傷が少なくてすむ『実行場所』として考えられる場所は限られてく る。芹華は気配を見失わぬよう、別の道を通って先回りしていたのだ。『モノ』を補足す るために。 <見えるのか?> 「ああ。はっきりとな」 <・・・> 「女心を踏みにじると、ロクな事にならないってのを教えてやるよ」 <言いよるわ。ジャマをしてくれた礼だ。まず貴様から喰らってやる> 『モノ』が実体化する。黒いわだかまりだったものが、四肢を備えたシルエットになる。 その頭部にあたる部分には、二つの瞳を持たぬ濁った目が開いていた。普通の人間が見た ら恐怖で動けなくなるだろう。 「こっちも忙しいんでな。手早く行かせてもらうよ」 だが芹華は眉ひとつ動かさない。彼女が右手を『モノ』に向けてかざすや否や、掌から蒼 い光弾がはじけ、『モノ』の中心部を直撃し、胴体部分が四散する。 <なめるな!> 「!?」 だが、砕けたと見えた胴体の無数の欠片が芹華に殺到する。 「こいつは!」 その『モノ』は、小さな羽蟲のごとき『モノ』の群体だったのだ。 「くっ!」 手、足、そして顔に『モノ』の分体がへばりくつ。芹華はたちまち『モノ』に呑み込まれ た。 <ククク、他愛も無い> 上半身と、腰から下だけの姿となった『モノ』があざ笑う。だが、 「はあぁっ!」 芹華の気合が一閃すると、体にまとわりついていた細かい『モノ』は、全て蒼白い炎を上 げて燃え上がり、ボトボトと地面に落ちて完全に消滅する。 炎が全て収まると、周囲は静寂に包まれる。 「・・・逃げたか?」 芹華がつぶやく。いつの間にか点灯していた街灯が影を地面に落としている。 「ふぅ」 ため息ひとつついて、芹華は力を抜く。そして、髪をちょっとかきあげ、後ろを振り向 いた。 「なめるんじゃない!」 鋭利な刃物のごとき語気で芹華が叫ぶ。その足元から、スパークが走る。そしてその電光 は、芹華の『影』の形のままの炎となった。 <ぐわぁぁぁぁぁ!!> 影から、『モノ』が抜け出る。 こいつは、細かく分体し、発する気配を限りなく小さくし、そしてこのように影に潜む ことによって、これまで芹華をやり過ごして来たのだった。燃えている『部分』を 『モノ』はようやく切り離し、公園の立ち木の間に逃げ込んだ。 「手品のタネは尽きたようだな」 木々の作り出す複雑な影に身を潜めた《それ》は後悔していた。たかが人間と侮ったのは 大きなミスだった。もはや、分体の3分の1以上が失われている。これでは逃げ切ること もかなうまい。ならば、何としても目の前のこいつを倒すしかない。 だが、どんなに力を持っていたとて、所詮は人間。『心』をもっている限り自分にはかな わない。《それ》は目の前の人間の心の奥を読む。この娘が無意識に求めているモノの形 を取る。そして、木々の間からゆっくりと歩み出る。娘がこちらに気づく。 「おまえ・・・何でこんなところに」 この娘が無意識に求めている言葉をかける。 <神条さんが心配でさ。> 「・・・心配?」 <・・・そうさ。新条さんをひとりになんてできないよ> 「おまえ・・・」 <さあ、こっちへおいで。神条さんはひとりじゃない> 「そうか」 娘の顔が緩み、こっちへ近づいてくる。そうだ、もっとこっちへ来い。 「ほんとに、来てくれたんだな」 <ああ。もう心配はいらないよ> 「うれしい・・・」 娘が抱きついてきた。この距離なら不意をつくのものもたやすいだろう。《それ》は娘の 背中に突き立てるべく、手の爪を伸ばす。 「絶対来てくれるって、信じてたよ」 娘は満面の笑みを浮かべる。その笑顔のまま死んでゆけ。《それ》は勝利を確信した。 「・・・あたしの結界の中にね」 <!> 呪符が芹華を中心とした円を描くように浮かび上がり、そしてそれはそのまま光の柱へ と姿を変えた。 <ぎゃああああ> 『モノ』は、光の柱の中に完全に捕縛された。時々、状態の悪いテレビ画像のように姿が ブレる。分体して逃れようとしているのだろう。だが、無駄だった。 「またバラけられるとウザいんでね。そこでじっとしててもらうよ」 信じられない。《それ》は確かにこの娘の心を支配したと思った。それは間違いではなか ったはずなのに。 「女心を踏みにじると、ロクなことにならない、って言っただろ」 芹華の瞳が白銀に輝き、掌底に光が満ちる。 「あばよ」 凍てつくような言葉と共に、もう一度だけ蒼白い炎が、今度は天を突くように燃え上がり 暗夜に吸い込まれていく。光の柱もすぐに薄れ、消えていった。後には、戦乙女の彫像の ごとく立ちつくす少女だけが残った。 芹華はもう一度だけあたりを用心深く探り、気配が完全に霧消したことを確認すると、地 面に倒れ付している和泉のそばに寄り、抱き起こした。 背中についた泥をていねいに払うとそばのベンチに座らせる。そして、額に指を当てた。 今までのことは、普通に暮らしを営む者にはあってはならぬことだ。だったら『なかった こと』にしてやったほうがいい。 芹華の指先が淡い、温かい光を放つ。 「・・・今までの事はみんな夢だ。全部忘れ・・・」 そこまで言いかけ、口をつむぐ。そして、もう一度、静かに口を開く。 「・・・きれいな思い出だけ、持って帰りな」 「ん・・・」 和泉は立ち上がり、自分の家のほうへと歩き出す。あとは帰り着き、一眠りすれば全て 『夢』ということになるだろう。 和泉が街の方へと消えるのを見届けた芹華の顔を、上弦の月がいつのまにか雲の切れた夜 空から、煌煌と照らす。 「あたしも、いい夢を見せてもらったよ」 ポツリと漏らした言葉。それは誰に言ったのだったか。
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「おーい。神条さん」 また、いつもの日常が戻ってきた放課後。家路につこうとする芹華を呼び止める声がする。 「やあ。今日は生徒会はいいのかい?」 「うん。特にすることもないからね」 「へえ。で、あの娘とはどうなったんだい?和泉さんだっけ」 「だーかーらー」 「あははは。赤くなってんの」 笑いながら芹華は、ふ、とあの夜以来、何度目かの問いかけを自分自身にしていた。 あの時の言葉は、ヤツを油断させるためのものだったはずだ。だが、ほんとうにそうだ ったのだろうか、と。 「いっしょに帰らない?」 「ああ、かまわないよ・・・」 もう考えるのはやめよう。 「ねえ、今度の日曜さ・・・」 今は、これでいい。 「・・・わかったよ。約束の時間、遅れるなよ」 芹華は微笑んだ。答えの出る日は案外近い、と思えるから。 夏はすぐそこだ。