夢魔
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 その坂は桜並木に包まれていた。もっとも、今は全て葉桜。鮮やかな緑の木々の葉の
重なりの間から、初夏の朝の木漏れ日が古びた石畳に映えていた。
 一人の少女が、この坂を登っていく。その先にある高校の制服を着ている。この道はいわ
ゆる『旧道』で、やや遠回りになるため通学路として使う生徒はほとんどおらず、今朝も
この道を登校しているのはその少女一人だけだった。
 坂の途中にある小さな古い社の前で立ち止まり、ちょっと汗ばんだ額を手でぬぐうと、
少女は空をあおぎ、そしてまぶしそうに目を細め、また歩き出す。そういえば、この坂
この社がある所以か、坂の向こうの高校の生徒には『伝説の坂』として言い習わされて
るらしい。
 『この坂で運命の日に、愛を誓い合った男女は永遠に結ばれる』
 少女の友人が、そんな事を言っていた。たわいもない『恋のおまじない』にすぎない。
そんな事を嬉しそうに話す友人を見て少女は思ったものだ。
 『彼女たちと、自分は住む世界が違うんだ、と』
 少なくとも運命などというものは少女にとっては忌むべきものでしかなかった。少女が
たまにこの道を選んで歩くのは、そんな『違う世界の住人たち』が妬ましくも、そして
わずらわしくもあったからだ。それに、もうひとつ理由があった。
 
 「・・・・・」
 坂を登りきった先に高校が見える。校舎はここ何年かに建て替えられた真新しい瀟洒な
建物だ。だが、少女にはその校舎が灰色にくすんでいるように見える。よく見れば上空に
何かどす黒いもやが蠢いている。少女はそれを見るたび気が重くなる。無論、そのくすん
だ風景そのものを見ることもいやだったが、それよりも何よりも、その光景が見えている
のが自分ひとりだけなのだ、ということが少女の胸にいいようのない感情を呼び起こす。
 
 少女は異能者だった。その異能ゆえそこに見えている『モノ』達を祓う事を生業として
いた。けして彼女が望んだことではなく。
 
 今登ってきた坂のある丘陵地帯は、先ほどの社の結界が生きているのかそういった『モ
ノ』達が入り込んでこないのだ。この坂を歩いている時だけは、少女は自らの異能を忘れ
ることができるのだ。そのことが、少女がこの坂を好むもうひとつの理由だった。
 少女は、短く切った髪をいつもの癖でちょっとかきあげると、深呼吸し、校舎に向かって
 歩き始めた。
 少女は、名を神条芹華、と言った。
 
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校門をくぐると、生徒たちが三々五々挨拶を交わしている。何人かは芹華に声をかける。 芹華はそっけなくではあるが応じる。人とあまり関わろうとは思わないが、妙に悪目立ち するのも避けたかった。『いてもいなくてもわからない』程度が芹華にとっての理想とい えた。 「おはよう」 「ああ、おはよう」 黒髪を後ろで結った、色白の少女が声をかけてくる。橘恵美だった。そんな没交渉の芹華 の数少ない友人の一人だ。 「いい天気ですね」 「ああ、気持ちいいなあ。こんな日は屋上で昼寝に限るよな」 「ちゃんと授業でなきゃだめですよ」 「わかってるって、冗談だよ、冗談」 そう言って笑いあう。半ば闇に身を置く芹華にとって、貴重な瞬間だ。 「じゃあ」 恵美は自分のクラスの教室に入っていった。芹華も自分の教室に入ろうとすると 「おはよう」 今度は男子生徒だった。 「ああ、おはよう。・・・・なんだい。朝っぱらからそんな大荷物」 声をかけたのは同じクラスの生徒だった。確か入学式の日、やはりあの坂を使って登校し てきた彼女と偶然出会い、それ以来何かと声をかけてくる。 「いやあ、ちょっと生徒会のパンフがさ」 「そりゃご苦労なことだ」 両手に大量の印刷物を持った男子生徒は、息を継ぎながら応える。 「やっぱり半分持ちましょうか?」 男子生徒に声がかかる。女生徒だ。 「・・・・」 芹華は声の主に目をやる。ロングヘア、白い肌、整った顔立ち。同性の芹華ですらハッと するような美少女だ。 「いや、いいよ。和泉さん、まだ病み上がりなんだから」 「・・・そう。じゃあお言葉に甘えさせていただくわ」 そうだ。和泉穂多琉と言ったか。確か何かで長期入院して先日やっと復学したばかりと聞 いた。そのせいか、どこか儚げな印象がある。 「いいとこあるじゃん。頑張れ、イロオトコ」 そう軽口を叩くと芹華は男子生徒の背中をバンとひっぱたく 「あわわわわわわ」 「だ、だいじょぶ?」 「へ、平気だよ。じゃあ、神条さん、教室で」 「ああ」 バランスを崩しそうになる男子生徒を和泉がフォローする。芹華は微笑みながら見送る。 だが、二人が廊下の角に消えると 「・・・・・・」 何とも言えない表情となり、大きくため息をついた。予鈴が鳴る。芹華も教室に向かう。 もう一度だけ、ちら、とさっきの二人の消えた廊下の角を見やる。 「・・・・・そうさ。違うんだ」 芹華は口の中だけで呟く。いや、それはなぜか奇妙なリズムで鼓動を奏でている胸のうち だったのかもしれない。

あなたは、だれ? ・・・・・・・・! 帰ってきてくれたの? ほんとにあなたなの? ううん、うれしくないわけないじゃない。 あいに来てくれたの? ・・・うん。もう全然平気よ。学校も行ってるし。 あなたは? ・・・・そう。 でも、いつかはまたいっしょに映画にいったり、 お買い物にいったり、喫茶店にいったり、海にいったり 山は・・・ちょっといやかな・・・ウフフ。 また、いつかはいっしょにできるようになるんでしょ? ねえ・・・ねえ・・・。 まだ、帰らないで。いっぱい話したいことあるの。 ・・・明日もきてくれるの? うん。わかったわ。絶対よ。


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「!」 目を開けると、部屋の明かりが目に飛び込んできた。帰ってからベッドに横になってその ままウトウトしていたらしい。時計は夜中の2時を回っている。 「ん・・・はっ!」 目をしばたくこと数回、芹華ははじかれたようにベッドから飛び起きる。 「今のは?」 芹華は部屋の窓からカーテンを目の幅ほど開き、外を覗く。 「・・・気のせいか?」 確かに今、外に気配がした。しかし、今現在、ここから見える範囲では何も怪しいところ は見当たらない。芹華は眼を閉じ、精神を集中する。感覚の中にそのあたりに漂う有象無 象の「モノ」達の雑多な念が流れ込んでくる。 実のところそういった「モノ」達というのは大半が無害、というよりも綿ぼこりのように 何をするでもなくフラフラ漂っているだけで、芹華ですら感覚を研ぎ澄まさなければ感知 できない程度のシロモノでしかない。だが、その綿ボコリのような連中が何かをきっかけ に参集し、凝り固まり、そして悪意を持つ。それは人に仇をなす存在となる。そうなった 「モノ」は形としてはっきりと感じることができるようになる。今、窓の外に感じたのは 確かにそんな「モノ」の感覚だった。 「・・・疲れてるのかな」 しばらくしても何も変化がないことを確認すると、芹華は深呼吸と共にカーテンを閉じ、 もう一度ベッドに転がる。今度は電灯を消す。だが、目がさえてしまっている。補助ラン プの橙色の明かりに照らされた天井を眺めながらとりとめのないことを考える。 そういえば、さっき目を覚ます前に何か夢を見ていた気がした。誰かと話している夢だ。 誰だったろう。恵美か?いや・・・違っていた。多分あいつだ。 なんで、たかが入学式の日に偶然出会っただけの人間をそうも気にかけるのだ。下心か? まあ、男なぞそんなものだろう。それにしても、なぜ自分なのだ? それほど縁がないわけではなかろう。中学の同級生の何とかいう娘と一緒に歩いてるのは 何度も見ているし、演劇部のあの有名人と帰ってるのも見ている。恵美も憎からず思って いるふうではある。今朝ほどの和泉という娘も、嫌っているわけではなさそうだ。 「まさかね」 あいつも『伝説』とやらを『運命』とやらを信じているのか?夢見がちな年頃の女子高生 ならともかく大の男が・・・そこまで考えて、芹華は気づいた。自分だってその『夢見が ちな年頃の女子高生』ではないか。何だか妙に可笑しい。声に出して笑う。 「あははははは。まったく、何考えてるんだろうね。あたしったら。さあ寝よっと」 芹華は目を閉じた。無論、眠るために。 それは自分自身の奥底に芽生え始めた『何か』を見ないようにするためのようでもあった けれど。 翌日。よく晴れた昼休み。 「ふぁぁぁぁぁぁぁ」 「さっきから5回目。芹華。」 橘恵美が苦笑しながら言う。 「いや何か考えごとしてたらぜんっぜん眠れなくてさ」 芹華が目をこすりながら応える。まあ状況は自己申告のとおりである。 「珍しいですね。芹華にしては」 「そりゃーあたしだって悩み多き乙女だぜ」 「うふふふ。」 「即座にウケなくたっていいだろー」 「うふふふ。ごめんなさい。それはそうと午後すぐ宮坂先生の授業でしょ。居眠りなんか したら大変よ」 恵美は完全な世話女房と化している。 「あちゃー、そうだな。じゃ、ちょいと昼寝してくら」 「はいはい。寝過ごして遅れないでね」 「わーってるって」 といいつつ6回目のあくびをする芹華ではあった。 「・・・ったく何だってんだ」 そう独りごちながら芹華は、昼寝の指定席である屋上への階段を上る。今日は風がすごく よかった。気持ちよく眠れそうだ。霞がかかった頭でそんな事を考えながら。 「!」 だが、そんな霞が一瞬にして吹き飛ぶ。 「・・・またか」 『モノ』だ。だが、やはり次の瞬間には感覚は消えていた。 「やっぱり何かありやがるな」 芹華は歩を止めた。踊り場の窓から差し込む光が、階段に抽象絵画のような影を落として いる。その踊り場の向こう。屋上のほうから誰かが降りてきた。 「・・・ごめんなさい」 「あ、すまない」 いつの間にか階段の真中に仁王立ちになっていた芹華のそばを女生徒が通り抜けていく。 見覚えのある顔だ。 「あれは・・・和泉?・・・まさかな」 今、ちら、と見た和泉の顔に奇妙な違和感があったのが気にはかかったが、とりあえずど うしようもない。芹華は屋上へと出る。思ったとおり、初夏の風が肌に心地よい。ちょっ と伸びをするとあたりを見回す。先客がいる。『あいつ』だった。所在なげに手すりによ ちかかっている。 「よう」 「あ、神条さん」 「どうした。あ、ははーん」 「え、何?」 「あの娘、和泉さんにフられたんだろ」 「あ、いや、そんなんじゃないよ」 ムキになるのがほほえましい。 「昼寝しようと思って屋上に来たら、和泉さんがいてさ」 「・・・ほう。でも、彼女、前にもそんなことあっただろ」 「うん。あの時も神条さんがいて」 「そうそう。彼女なりに辛いことがあるんだからそっとしといてやんなよ」 「・・・いや、そんな感じじゃなかった」 「・・・どういうことだ?」 芹華の目がわずかに鋭くなる。 「うん。何か、心ここにあらず、っていうのか空を見てボンヤリしてる感じでさ」 「・・・そうか。ま、あまり気にする事もないんじゃないか。人間、そういう時もある さ」 「・・・そんなもんかなあ」 「そうそう。じゃ、あたしは一眠りすっから」 芹華はごろん、と寝転がりアクビをしてみせる。 「あ、ごめん。それじゃ」 靴音が遠のき、ドアが開き、また閉まる音がするとあとは吹き過ぎる風だけが残る。芹華 は無論、眠ったわけではなかった。とうに眠気は飛んでいる。全ての感覚を凝らす。ざわ ざわとした『モノ』達のざわめき。しかし、昨夜、そしてさっきの『大物』を感じ取るこ とはできない。 「・・・いやがる。確実に・・・だが、どこで、何をしようとしている?・・・和泉穂多 琉・・・か?」 芹華の視界には、青い空を流れていく白い雲が映るだけだった。