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「ご、ごめんなさいへんなこと…」
振り向いて謝ろうとすると後ろから声がした。
「そうねー……いい女は、安売りしないの」
言葉の威勢のよさとは裏腹に、その声はやっと搾り出した、という感じだった。
「……なんてね」
あたしの真後ろに、スーツを両手に広げたまふゆさんが立っていた。
「さ」
「あ、すいません」
あたしは反射的に立ち上がり、手に持ったドライヤーとブラシをまふゆさんに手渡すと、
差し出されたスーツに袖を通した。
「あはは、うらやましいですねー。あたしなんかそんな余裕こいてたら、たちまち
売れ残っちゃいますよー」
あたしはスーツの襟を整えつつ、無理に笑いを作る
「…そう?」
「あ…?」
まふゆさんがかちん、とドライヤーのスイッチを入れた。そして
「ちょっとこっち向いてー」
と、あたしの顔を覗き込む。あたしの心臓が、またどきどきを始める。
「あたしからしたら、あなたの方がうらやましいけどねー」
「え?」
まふゆさんはドライヤーとブラシで、あたしの前髪を整え始める。
「あたしがどうやったってかなわないもの、あなたいっぱい持ってるんだもの」
「……」
あたしは何か言おうとした。
けれど、間近に見えるまふゆさんの笑顔が、言葉を喉に押し戻した。
「ほんとに、あなたと……あなたの彼氏がうらやましいな…」
その笑顔に添えられた瞳はとても哀しい光を帯びていた。あたしの言葉なんかじゃ
どうしようもないほどに。
「あんまりうらやましいから、オマケしたげるね!」
まふゆさんは、そう言うと、あたしのそばをちょっと離れる。その姿を見送るあたしは
ひとつのことに気付く。
あ……
北海道、とはいえ初夏。しかも今年はいつもより暑いというのにまふゆさんは肌をほとんど
露出していなかった。胸元や背中はおろか、サマーニットは長袖、首すらもスカーフで
覆い隠していた。
うまくコーディネートしてあるのと、あたし自身がスーツとブラウスなんて暑っ苦しい
いでたちだったんで今まで気にならなかったのだけれど。
そこに何かあるのか、それともあたしの思い過ごしなのか。それはわからない。
けれど、さっきあたしを見つめていた瞳のわけがそこに隠されている、そんな気がして
ならなかった。
「はいっ!こっち向いてー」
「え」
いつの間にかまふゆさんが、化粧パフを持ってそばに立っていた。思わず振り向いた
あたしの顔を、ファウンデーションがぱたぱたとなでていく。そして次に唇をリップが
通りすぎていく。
「ちょっとだけ、目つぶってくれる?」
まふゆさんの手にアイラインブラシが見える。あたしは黙って目を閉じる。ドキドキは
まだ止まらない。あれ?なんかこの感じ、似てる。なんにだろ。
あ、そうか。
キスされる時、みたいなんだ。
そんなあたしのドキドキに、まふゆさんの声が入ってくる。
「やっぱり、たいせつな人には、一番きれいな自分を見せたいよね」
それはあたしでない「誰か」に語りかけているみたいだった。
「だって……」
まふゆさんの言葉がそこでちょっと途切れる。そして次に出てきた言葉ははっと
するほどはっきりとしていた。
「女の子、だもんね」
あたしがそれに応える言葉を探しているうちに、次の声が聞こえた。
「はいっ。いいわよ。目、開けても」
何だか怖くてあたしはゆっくりとまぶたを上げる。
「あ…」
そこにはあたしがいた。けれど、それはあたしの知らないあたしだった。
「どう?」
まふゆさんが手鏡をかざしてくれていた。自分で自分をキレイ、とかいうのも変なんだけ
ど、鏡の中のあたしは、少なくともちょっと前に展望台の窓にいたあたしとは比べ物に
ならないほど美人だった。
「…」
「お気に召してくれた?」
「は、はいっ!」
「よかったー」
満面の笑みを浮かべるまふゆさん。
「あ、あのー」
「うん?」
下地がよくないはずのにここまで、ってことは
「高い化粧品使わせちゃんたんじゃ…」
「うん?ぜんぜんぜんぜん」
まふゆさんは、今のメイクのやり方を簡単に説明してくれた。使っていたのは確かに
安物ではないけど、ありふれた化粧品と道具だった。
「みんな顔かたちが違うんだから、きれいになるやり方も違う、ってことよ」
「なるほど…あの、美容師さんかなんかだったんですか?」
「うーん、そういうわけじゃないんだけど、商売柄、人のお化粧手伝う事けっこうあるんだ」
なるほどねー。でも、
「メイクひとつでずいぶん変わるんもんなんですね」
「あなたは元がかわいいからね。いくらでもかわいくなるわよ」
「え、えへへへへへ」
さっきからのどきどきとは別のどきどきに、あたしの頬がまたちょっと熱くなる。
メイクと、そして誉め言葉。両方にお礼を返そうと思うのだが、うまく言葉がみつからない。
あたしがそんな言葉探しをしていた、その時、ささやくような、泣いているような、
そんな細い声がした。
ううん、したような気がした、というのが正しいかもしれない。
どんなに上手にお化粧したって、変えられないところは変えられないし、ね
!
あたしはまふゆさんの方を見た。その言葉がほんとに聞こえたのかどうか、正直自信がない。
まふゆさんはあたしに背を向けて、窓枠が切り取った空を見上げていた。
鏡台の上で電子音が響いた。
「あ、すいません」
あたしは電話を取り、通話ボタンを押す。彼だった。
「はい…あ、着いたの?今どこ?」
遅れた飛行機がようやく新千歳に到着した、というしらせだった。その彼の声に混じって
別の電子音が鳴っている。それが途切れると
「はい。あ、あたし、まふゆ」
どうやら、まふゆさんの彼氏もこっちと同じようにロビーで待ち人の姿を探している
らしかった。
「うん。今そっち行くから」
あたしは電話を切る。
「じゃ、ロビーで会いましょ」
まふゆさんの方も電話を切った。
「無事に着いたみたいね」
「ですね」
あたしとまふゆさんは、同じ気持と笑みを分け合った。
「ほらほら、待たせちゃいけないでしょ」
まふゆさんがあたしをいたずらっぽく促す。
「そっちはまだいいんですか?」
あたしはそそくさと荷物をまとめつつ聞いてみる。
「言ったでしょ。安売りはしない、って」
「いい女、ですもんね」
まふゆさんの目が見開かれ、ちょっとの間伏せられ、そしてすぐに微笑んだ。
「……ありがと」
あたしはまふゆさんに、めいっぱいの笑顔で応えた。何だかそうすることが一番のお礼の
ように思えたから。
「じゃ、色々とお世話になりました」
「気にしない気にしない。女同士じゃない。困った時はお互い様よ」
「……はい、じゃ行って来ます」
「うん。じゃあ…がんばれ女の子!」
「はーい」
あたしは軽くお辞儀をしながら廊下に出る。ドアノブにかかった手の動きががなんとなく
鈍い。と、ふと覗いたスキマから、まふゆさんが小さく手を振っているのがみえた。
あたしは深呼吸をし、小さく手を振る。そして、ドアを閉じた。
ぱたん、という音といっしょにまふゆさんの姿があたしの視界から完全に消えた。
あたしはもう一度だけ深呼吸をした。大きく、深く。
体の中のいろんなものを全部入れ替えるように。
さ、行こう。彼が待っている。今日はすてきなデートができるかな。
ううん、すてきなデートになるに決まってる。
だって、今日のあたしは今までとは、少し違うんはずなんだから。
がんばれ、女の子。
がんばれ、あたし。