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「あ、あたし。まふゆ」
ちょっと離れたところで誰かが電話している声がする。ここは新千歳空港4階の展望
ロビーだ。
滑走路を見渡すことができる大きな窓は映画のスクリーンみたいだ。
そして、そのスクリーンに上映中のフィルムに映っているのは、6月の空を背景に、
色とりどりのおっきいオモチャみたいなジェット旅客機がひっきりなしに行き来して
いる姿だった。どこかで子供が喜ぶ声がしていた。
そんな外の光景に二重写しになるように、これも何だかオモチャみたいな女の子が映って
いるのがあたしには見えた。
それは他でもない、あたし自身の姿だった。
「しょうがないわねー」
また、声がする。あたしはちら、と声のした方を見る。背の高い女性だった。黒いサマー
ニットに赤いスカーフという華やかないでたちが印象的だ。
「飛行機が遅れたんじゃ。ま、変に飛ばれて落っこちられるよりはいいわよ」
あ、あっちの人もあたしとおんなじ理由での待ちぼうけなのね。
あたしの待ち人は、東京に住んでいる2つ年上の恋人。いわゆる遠恋だ。初めて会ったの
が中3の夏、あたしの家である美瑛の牧場に夏休みを利用して遊びにやってきた時だから
もう5年越しの付き合いになる。
始めて会ったその日から時は流れ、あたしは今、帯広の大学で獣医を目指して勉強中、
彼は東京で経営だか経理だか、そっちの方を勉強中だ。
卒業したら、こっちに住んでうちの牧場を手伝ってくれるつもりらしい。そして、来る
べきその時に向けての打ち合わせや手続き、そして何よりもあたしに会うために、また、
北海道にきてくれる…はずなのだが。
あたしは、携帯電話の着信記録を眺める。
なんでも羽田空港にトラブルがあったのだそうで、乗るはずの便の離陸の時刻がわから
なくなってしまったらしい。だから出迎えはいいよ、と彼は言ってくれたのだけれど、
そのときあたしはすでに身支度を整え終わっていた。
ということで、出鼻を思いっきりくじかれつつも様子を見に空港にやってきた、と、
そういうわけである。はあ。
と、ため息をついてもそれで飛行機の出発が早くなるわけでもない。あたしは見るとも
なしに窓に映った自分を見る。ちょっと乱れていた前髪を直す。
この日のためにメイクを研究し、スーツを選び、あまつさえ昨日は札幌の親戚の家に泊ま
り、朝から念入りに髪型を整えたのだ。彼に見てもらうまでちゃんと状態をキープしとか
なきゃね。そう気合を入れなおす。そのあたしの脳裏に
……うん。お兄ちゃんなら喜んでくれると思うよ
従姉妹に今日のコーディネイトの感想を求めた時の微妙な間と言い回しと微笑が浮かぶ。
うう、わかってるのよ。あたしお化粧ヘタだし、何よりこの体型じゃ、ねえ。
自慢ではないが、というか自慢になんかしたくもないが、あたしはおっきくなっていな
い。どのくらいかと言うと、夕べ従姉妹と食事するのに行ったススキノで、補導員のお姉
さんに2回くらい運転免許証と大学の学生証を見せなきゃいけなかったくらいに、だ。
「え?もう飛ぶの?」
そばで電話中だったお姉さんが嬉しそうな声を上げる。あたしはそっちの方を見る。
うわー、きれいな人。スタイルいいし、美人だし。ほんとにお人形さんみたい。
ついでに手に持ってるソフトクリーム、さっきあたしが買いに行った時は売り切れてた
やつだ。お姉さんが行った時にはあったのかー。
おんなじ境遇でも何でこうも違うんだろ…って、どうもネガティブになっちゃうな。
やっぱり出鼻をくじかれたのがいけなかったかな。いけないいけない。
がんばれ、あたし。
そんな意味もなく気合を入れるあたしの手で着信音が鳴った。
あ、彼から電話だ。
用件は思った通り、フライトの予定が立ったという連絡だった。30分遅れ、ていうから
あと到着まで3時間ちょっと、か。長いなあ。
お姉さんとあたし以外にも何人かの人たちが電話をしていた。やはり同じ便に乗る予定
の人たちなのだろう。
展望台の窓がちょっとビリビリと震える。空港では旅客機が一機、滑走路に移動を始めていた。
子供のむずがる声がする。空気の変化に驚いたのだろうか。
このままぼーっと飛行機を眺めていたってしょうがないな。下の喫茶店にでも入って
よう。そう思ったあたしはデッキの窓際から離れる。
「はいはい。いい子の<まふゆ>で待ってまーす。そっちこそ乗り遅れないでね。
じゃあねー」
すぐ隣でさっきのきれいなお姉さんの声がする。やはり長い待ち時間をどこかで過ごそう
と思ったのか、あたしと並んで歩き始めた。
へえ、まゆふさん、っていうのか。
あたしは聞くともなしに聞きつつ階下に続くエスカレータへに乗る。隣にはまふゆさんが
並ぶ。電話を切る音。後ろからは先ほどの男の子の声。空港ロビーに近づくにつれ、大き
くなってくる館内放送の声。そんな諸々が通り過ぎていくあたしの聴覚に、叫び声が割って
入る。
「わ!」
え?男のひと?いつのまに…
とあたしが横を向いた瞬間、あたしの視界を白くて冷たいものがふさいだ。
「あ、うわ!!すいません!だ、だいじょぶですか?」
「あ、あ、すいませんっ!ダメでしょう!ショウちゃんっ!」
子供の泣き声。
ともかく心配と謝罪をされるような事が起こったのだけはわかった。
わかったからとりあえずこの目の前の物体を誰か取ってくんないかな、と思っていると、
コロンの香りがあたしの顔のあたりを包んだ。そして上手にアイロンがけされたハンカチ
のが一撫でしていく感触といっしょに目の前が開けた。そこには<まふゆ>さんの顔が
あった。わー、ずいぶん腰落としてるー。背、高いなー、ってそんなこと言ってる場合
じゃないな。
とりあえず、あたしはあやうく足を踏み外しそうになりつつエスカレーターを降りる。
「ご、ごめんなさい、ほんとに」
平謝りのまふゆさんの後ろで、子供を抱えたお母さんがさらに平謝りをしている。
状況としては、子供がまふゆさんの長く伸ばした髪の毛を後ろからいきなり引っ張り、
それに驚いたまふゆさんが思わず手にしていたソフトクリームを放り出してしまい、あた
しの顔に直撃した、ということらしかった。
まふゆさんの髪はよく見るとちょっとだけ赤味がかかっている。ヘアカラー、いやヘア
マニキュアかな?それを珍しいと思ったのかもしれない。
などと他人の髪を心配してる場合ではない。あたしに命中したアイスクリームは、これ
がまたほどよく解けていて、あたしの目のあたりから前髪まで、べっとりと張り付いていた。
今朝からのあたしの努力のかなりの部分を無駄にするほどに。
つくともなしに大きなため息が出る。
「あのう」
「はい?」
まふゆさんの声がため息の半分ほどをさえぎった。
「よろしかったら、シャワーでも…あたし空港ホテルに部屋取ってるんで」
まふゆさんがほんとに申し訳なさそうに提案してくる。
「え?そんなぁ、別に気にしてませんから」
ほら、あたしも一応オトナだし。それにまあ、洗面所でちょっと拭けばすみそうだし。
それに、なんていうか…きっとあなたには似合わない、って神様のお告げなのよ。
うん。そういうことにしておこう、と自分を納得させかかったところに
「でも…大切な待ち合わせなんでしょ?」
の一言。
「え、どうして」
彼の顔が浮かび、心臓がちょっと跳ね上がる。
「側で電話してたの聞こえてて、あ、やっぱりおんなじような人がいるーと思って」
そうか。向こうの話が聞こえてるんだからあたしの話だって聞かれてるわよね。
「だったら身支度、ちょっとでもやり直したほう、いいんじゃないかな、
なんて思ったんだけど、どっかな」
「んー、確かに。そう言われると」
「でしょでしょ。そうしましょうよ」
うー、口調と物腰、それに笑顔の三段アタック。
「わかりました。んじゃ、お世話になりますー」
「よかったー。じゃ、早いところいきましょ」
なんか完全にペースに巻かれた感じー。そういうお仕事なのかなあ。そんなことを考え
つつすらっとしたまふゆさんの後姿にあたしはついていく。
あたしたちは高い天井ときらびやかなシャンデリアに彩られた空港ホテルのロビーへ、
そして客室へのエレベーターの前へとやって来た。
まふゆさんがボタンを押す。ちょうど最上階にいたエレベーターは階を示すランプを
ともしながら、ゆっくりと降りてくる。
ふと気付くとまふゆさんは髪の毛を気にしている。先ほど引っ張られたのがよっぽど
ショックだったのかな。
あれ?そういえばさっきの悲鳴ってなんだか
「部屋7階だから」
「あ、はいっ!」
まふゆさんの声で、今頭に浮かびかけた何かが飛んだ。
「でもほんとにいいんですか?」
二人きりになった箱の中で、あたしは改めて聞いてみる。
「もちろんもちろん。悪いのは全面的にあたしだし、それに」
「それに?」
「何か、他人事じゃない気がするし」
え…?
そう言うとまふゆさんは不思議な瞳であたしを見つめる。あたしは自分の頬の温度が
なぜか上昇するのを感じていた。
やだあたし。そそそんな趣味はないわよ。ええとタタタイは曲がってないし。
と、ちょっと混乱するあたしの熱くなった顔にひやっとした空気が当たる。
エレベーターのドアが開く。
「あ、着いたわよ」
そう言うとまふゆさんはすたすたと外に出る。
「あ、はい」
あたしもそれに続く。ぼっとしていたあたしはちょっと出遅れてドアに挟まれそうに
なる。
「だいじょぶー?」
「あ、はーい」
答えたあたしのドキドキはまだ完全にはおさまっていなかった。