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それから静寂の時間が20分ほど過ぎた。
そのしじまを満たすように車のエンジン音が近づいてくる。やがてそれが家の外で止まる。
ほどなく玄関から声がした。
「ごめんくださーい」
「はーい」
「夜分遅く申し訳ありません。こちらで迷子の女の子を預かっていただいてると
うかがいまして」
「あ、はい。今開けます」
明理はぱたぱたと玄関に走り、鍵を開ける。初老の女性が顔を出す。女性は明理の顔を
見て、まず『あれ?』という表情し、そしてすぐに申し訳なさそうな表情になって頭を
下げる。
「ほんとにどうもすいません・・・」
女性の挨拶が終わらないうちにもう1人、今度は車のキィを手にした若い女性が入って
きて、また頭を下げる。
「すいません。さやかちゃんがお邪魔してるそうで・・・」
明理は2人の女性を居間に通した。2人は眠っている少女が自分たちの尋ね人なのを確認
する。
「すいません。お手数おかけしました」
「いえ。いいんですよ。どうせ独りですから」
「お1人住まいなんですか、失礼ですがご家族の方は・・・あ・・・。どうもすいませ
ん」
若い方の女性が言いかけ、そして線香立てといっしょに飾ってある写真に気付いてあわてて
謝罪した。
「あ、どうかお気になさらずに。もうずいぶんになりますから」
そんなことを話してるうちに、初老の女性のほうが、少女をそっと、しかし手馴れた様子
で起こさないように抱き上げた。
「そちらの方がおうちの方ですか?」
「あ、申し遅れました。こちらはさやかちゃんのおばあ様です。私は保育園のほうで
さやかちゃんの担任をさせていただいております」
「じゃあ、さやかちゃんは今、そちらのおばあ様のお宅の方に?」
「さやか・・・何か、言ってましたか」
「おうちさがしてここまで来た、って」
「え?」
さやかの祖母の目が見開かれ、次に曇った。
「いまのおうちはほんとじゃない。いまのおうちが好きだけど、怒られるから帰りたく
ない、そんな事を」
2人はなんとも言えない表情で顔を見合わせ、次に目を伏せるように少女に視線を落とす。
やがて少女を抱いた女性、さやかの祖母が明理に顔を向ける。
「・・・あまり詳しいことはお話できないのですが・・・この子を産んだ母親は家から
離れてしまっておりまして・・・」
「さやかちゃんを置いて・・・ですか?」
「はい・・・父親と、そのう、新しい母親がいるんですがその母親とあまり・・・」
そこまで言って祖母は口ごもった。
「そう、なんですか」
明理はそれ以上は聞かなかった。聞く必要も、その気もなかった。
「そうは見えませんでしたけど・・・」
「ええ、ほんとにすなおな、いい子なんですよ。いろいろ辛いことがあったはずなのに
・・・。」
祖母が、眠る少女をいとおしそうに撫でながら言う。
「それにしても、こんな遠くまでよく・・・」
「はあ。スーパーでちょっと目を離したスキに・・・あの・・・失礼ですが」
話す祖母の視線が途中から明理の顔に向く。
「はい?」
「大通のお菓子屋さんにお勤めなさってますよね?」
「えっ。は、はいっ」
思いがけない問いに、明理はちょっと意表をつかれた。
「実は何度かこの子と一緒にそちらのお店にうかがった事があるんですよ」
「あ」
道理で最初に会った時に見覚えがあったはずだ。
「実はこの子のほんとうの母親も、お菓子屋さんで働いていた事がありまして」
「!」
「そのころはよくお店のほうに、母親の姿を見せに連れて行ったりしてたんですよ」
「そんなことが」
「だから・・・あなたを見て、母親みたいな人だと思ったのかもしれません」
祖母はそこで言葉を切って、また少女に視線を落とした。少しの沈黙。今度は若い保母が
口を開く。
「今日、ちょっとうちの方でほかの子から家庭の事をいろいろと言われたようで・・・。
それでなんでしょうか。その後もふだん通りだったもので、それほど気にしてるとは
思っていなくて」
この小さな体にはどんなことがしまわれているんだろう。その中のいくらかでも自分は
取り除いやれたのだろうか。そんな事を思いながら明理は少女を見つめた。
その時、それに応えるかのように少女のまぶたが動いた。
「ん・・・」
祖母の腕の中から小さな声がする。愛らしい瞳が開いた。
「あ・・・おばあちゃん?せんせい?」
そして、そこに見える顔を確認するようにつぶやいた。さやかの祖母はその瞳を優しく
覗き込みながら語りかける。
「そうよ。おむかえに来たの。もう遅いから帰りましょうね」
さやかは見慣れているであろうふたりの顔を不安そうに見回す。
「・・・おこらない?いたいことしない?」
「あ・・・」
「何言ってるの。そんなことするはずないじゃない」
一瞬言葉に詰まった2人の代わりに、その問いに応えたのは、明理だった。
「おばあちゃんも、先生もさやかちゃんのことがだいすきなんだから」
明理は、目線をさやかに合わせ、そして髪の毛をくしゃっとをなでながら言った。
「・・・ほんとう?」
さやかを抱いている祖母が、目を半ばうるませながら何度もうなずく。若い保母も口と
鼻のあたりを手でおおいながら、こくんと首を振る。
「でも、心配かけたんだから、ちゃぁんとあやまらなきゃだめだぞ」
そう言って明理は最後に、くい、と少女の結った髪を軽く引っ張った。それがスイッチに
なったかのように
「・・・わかった。ごめんなさい」
少女は迎えに来た2人方を向いてぺこり、と頭を下げる。
「いいのよ・・・いいのよ・・・」
祖母はさやかを抱き寄せてほおずりをした。さやかの顔に笑みが浮かんだ。
「それでは、そろそろ失礼します。遅くまでほんとうにすいませんでした」
「いえ。こちらこそ。お引止めしたみたいで・・・」
「じゃ、おねえちゃんにバイバイしましょ」
明理は少女に微笑みかけながら手を振る。
「ばいばい。今度までにヤキソバ、もっとおいしく作れるようになってるからね」
「ん・・・いらない」
「え?」
「こんどは、おうちでつくってもらうから」
明理は一瞬、ほんとうに一瞬だけ、たぶん自分でも気付かないような一瞬だけ、ひどく
寂しそうな表情をしたあと、またゆっくりと微笑む。そして、もう一度だけさやかの頭を
優しくなでる。
「・・・そうだったね。でも、ほんとにもう心配かけちゃだめだぞ」
「うん。わかった。じゃあ、おねえちゃん、ばいばい」
さやかは腕に抱かれたまま、玄関から去っていった。最後まで明理に手を振りながら。