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桜の樹は、淡いピンクから緑に装いを変えつつあった。
陽春という言葉どおりのその日、ひびきの高校もうららかな放課後を迎えていた。
校庭の一角、クラブ棟が並んでるあたりのちょっと奥まった所に、いささか場違いとも
思える小さな東屋風の建物が建っている。茶道部の部室であった。
15畳ばかりの純和風の部室には3年になったばかりの部長、水無月琴子と3年で副部
長の南四郎、その他2、3人の部員がたむろしていた。
茶道部は部活、と言っても決まった日の先生の稽古以外はこれといってすることがあるわ
けでもない。事実、琴子と四郎以外の部員は、三々五々、課題やら何やらをやっていると
ころだった。
琴子と四郎は、と言うと
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
ここだけは、本来の茶道部の世界に入っていた。「お点前」。要するにお茶を立てていた
のだ。
「・・・・・・・」
四郎は、出された碗を丁寧に飲み干す。
「・・・結構なお点前で」
「どうぞ、おしまいを」
琴子は、作法に則って、道具の後始末をするとすうっと優雅にお辞儀をする。
「おしまいにいたします」
そのままの姿勢。ややあって琴子は顔を上げる。額にかかった髪をちょっとかきあげると、
ふぅ、と息をする。結界が外れたように空気が緩む。
「はぁ、やっぱりお点前は気が引き締まるわね」
「うん」
「・・・本心からそう思ってる?」
琴子が、疑わしそう、というかマンガなんかでいうところの『ジト目』で聞く。
「もちろんだよ」
四郎があわてて心外、という感じで応える。
「うふふふ。ま、そういうことにしときましょう」
琴子は顔をほころばせる。そして、
「今日は、終わりにしましょうかね」
と言った。
「そうだね」
「ん・・・」
琴子は立ち上がり、背筋を伸ばす。ロングのストレートヘアーが障子から射し込んできた
午後の日にきらきらと映える。
「?」
琴子は、ふと視線を感じる。そちらに目を向けると四郎がそそくさと帰り支度をしていた。
全く、この男ときたら、誤魔化すのがヘタクソな所は初めて出会った頃から何も変わって
いない。琴子は一瞬、何ともいえない表情を作り、そして、
「さっさとしないと置いてくわよ」
と、いささかわざとらしい険しさで言った。ヘタクソ、とか人に言えた義理ではないこと
は琴子自信も薄々感づいてはいるのだけれど。
「じゃ、あたしたち帰るからあとお願いね」
残った部員たちの返事を背中に聞いて、二人は部室を出た。かすかな風に乗って桜の花び
らが流れてくる。
木々や建物。生徒たち。そして琴子と四郎の影は、もう東向きに校庭の上を長く伸びて
いた。
「ねえ、水無月さん」
「なあに?」
吹き抜けるそよ風を縫うように、四郎が琴子に話しかける。
「次の日曜、山にでも登らない?」
「え?」
「いや、何か新緑がきれいらしいから、ほら水無月さんそういうのが好きだって」
四郎は、ちょっとしどろもどろになって理由を探している。
「・・・」
琴子は即答ができない。少し、そう。ほんの少し前なら、別の誰かを誘ってね、と即座に
言い返せたのに。この男が誘うべき誰か、は自分ではなく、この男のそばにいるひと
だろう、そう思っていたのに。
「そうねえ・・・」
琴子がつぶやく。視線が四郎から少し外れる。
「琴子!四郎君!」
次に琴子が口を開こうとした時、二人の後ろから、軽やかな声がする。
「あ、光、今帰るところ?」
「うん!」
髪をショートにした快活そうな少女が、二人に追いついてくる。琴子の親友にして四郎の
幼馴染、陽之下光であった。声をかけられた二人の表情がちょっとだけ変わる。
多分、それぞれ違った理由で。
3人はたわいのない話をしながら歩く。高校生活最後の年であり、進路やら何やら、
悩み多き時期でもある。しかし、若葉薫る季節、3人にはまだまだ自覚はない。新任の
教師、新しいクラス、そんな話題が柔らかな風と陽気の下、笑い声といっしょに響く。
「さて、と」
校門からほど近い交差点、琴子は二人に告げる。
「今日はちょっと用事があるんであたしはここで」
「そうなの?じゃ、気を付けてね。また明日」
光はにこにこと笑って手を振る。
「あ、それじゃまた明日」
四郎も手を振って会釈をした。
「それじゃ」
琴子は、早足で二人の前から歩み去った。
「機嫌わるいのかなあ」
四郎が、曲がり角に消える琴子を見送りながら言った。
「別に、そんなことないんじゃないの?いつもどおりだったと思うけど」
「・・・そうか」
「ね、ちょっと寄ってきたいとこあるんだけどいい?」
「あ、もちろんかまわないよ」
「ほんと?うれしいなあ。ちょっとおもしろいお店がね・・」
四郎はもう一度、ちら、ともう一度琴子の消えたあたりを振り返った。
「・・・全く、世話がやけるったらありゃしない」
曲がり角を曲がったちょっと先。琴子はブロック塀に半ばよりかかってつぶやく。
「女の子の気持ちなんか、何もわかってないんだから」
何かが、ちら、と落ちてくる。塀の向こうの庭に植えられている桜の花びらだった。
「ほんとに・・・まったく」
琴子はしばらく、桜を見上げる。
「よしっ!と」
何かを振り切るように身を起こした琴子は、帰路につく。しかし
「・・・」
どうも気分がさえない。原因は、わかっているのだが、そのことを考える気にもなれな
かった。
「ちょっと、よってこーかな」
琴子は隣町に近い繁華街に出た。琴子は行き付けの甘味処ののれんをくぐった。 席に着き、
いつものようにあんみつと抹茶のセットを注文する。待ってる間、ぼうっと考える。琴子
の向かいの席。このあいだ来たときは誰が座っていただろう。光?いや、違う。
琴子は、その人物と過ごす時間が確実に増えていることに気付く。うしろめたさが琴子を
さいなむ。けれど、もうひとつの別な思いが泡のように浮き上がろうとする。琴子は、
それを吹き飛ばそうとするかのように嘆息する。
「チョット、いいですか」
「?」
琴子に話しかける声がした。女性の声だ。声の方を見る。琴子はちょっと目を丸くする。
金髪碧眼の美少女、という言葉はよく聞くが、実物を見る機会はそうそうあるものでは
ない。今はその稀有の機会らしかった。
一人の少女が、琴子の脇に立っていた。年のころは琴子と同じくらいだろう。鮮やかな
ブルーのセーラー服は、確か隣町の高校の制服だ。ちょっとクセのある金髪が制服の肩に
かかっている。瞳は宝石のような青だった。そういえば、隣の高校に外国人の留学生が
入った、という噂を聞いたことがあった。
「スイマセン。ここのカンジよくヨメナクテ」
「ああ、お品書きがわからないんですね」
ここのメニューは、かなり崩した草書体風で書かれているのだ。
「オシナガキ、メニューですか。はい。ソウデス」
「ええっと・・・」
品書きを指でなぞる琴子。
「ここにウツテいいですカ?」
「あ、いいですよ」
琴子は、金髪の少女の物怖じしない態度に少々面食らう。やっぱり日本人とは多少意識が
違うのかもしれないな、などと考える。とまれ、金髪の少女は、さっきまで琴子が思いを
馳せた空間を占有することとなった。
「アリガトございます。ワタシ、パトリシア・マクグラスとイイマス。パットと呼んでクダサイ」
「水無月琴子、です」
「コトコさん、デスネ。よろしくオネガいします」
「はいはい。ええと、あ、そうそう品書きよね。これがアンミツ、ええとフルーツカクテ
ルみたいなものかしら。こっちがお団子。あとは磯辺巻き。こんなところかな。全部お抹
茶がセットでつくわ」
「ワタシ、オダンゴとそのマッチャ、ティーのセットがいいデス」
「わかったわ。すいません」
通りかかった店員に、注文を取り次ぐ。
「ドモ。スイマセんでした」
「いいんですよ。それよりも、どうして私に?」
「イエ、ホカに同じクライの年のヒトがいなくて・・・」
確かにそうだ。周りを見ると、ぱらぱらと座っている客はほとんどが年配の女性だ。この
あたりは喫茶店やファーストフードが多く、好んで甘味処に入ろうとする高校生もそうそう
いないだろう。
「ああ、そうよね。でも・・・失礼だけど外国の方だったらこのへんにはファーストフードもあるし」
「エート、なんていうのかニホンのコト、いろいろシリタいんです。もっと」
「へえ。日本、好きですか?」
和風の文物を愛する琴子は、ちょっと微笑む。
「ハイ。ニホン、好きです。というかニホン人が」
そこでちょっとパットはいいよどんだ。
「まあ、ソウイウことね」
「ふうん」
琴子が何か言おうとすると、店員が琴子の注文したあんみつと抹茶を運んでくる。
「Oh、ソッチの方がオイシソウですね」
「残念でした。もう手遅れです」
二人は顔を見合わせて笑う。くったくのない笑顔に琴子もいつの間にか惹きつけられて
いる。おそらくそれがこの娘の魅力なのだろう。
ひとしきり笑ったところでちょっと喉が乾いているのに気付いた琴子は抹茶の入った茶碗
を両手で持ち、口許に当てて一口すすった。
「・・?」
琴子はちょっと顔をしかめる。
「どうかしマシタか?」
「いえ」
不味い抹茶であった。やたらと濃く、苦い。明らかに淹れ方に失敗している。まあ自分は
飲めないほどではないが
「お待ちどうさまでした」
パットの団子と抹茶が運ばれてくる。
「コッチもオイシソですね」
パットが相変わらずのニコニコ顔で、団子を持ち頬張る。
「ん〜」
ほんとうにおいしそうだ。琴子もアンミツを一口食べる。パットは団子を一串食べ終わる
と今度は抹茶を飲もうとこわごわ茶碗に手を伸ばす。洋式のカップと違って、取っ手のな
い茶碗をどうつかんだらいいか迷っているようだ。琴子は
「熱くないからだいじょうぶよ」
そう言うと、自分も茶碗をもう一度持つ。パットはそれを見て自分も見真似で茶碗を持つ。
「ホントだ」
琴子が茶碗から一口、(美味くない)抹茶をすする。パットもそれに倣う。
「〜〜〜〜」
茶碗を口から離したパットの顔が露骨に歪んでいる。
「・・・ご感想は?」
「・・・ジャパニーズ・マッチャ・ティーってみんなこうなんですか?」
琴子にちょっとした悪戯ごころが芽生える。
「そうよ。日本人ならこれくらい平気よ」
「ソ、そですか・・・ガンバリます!」
直後、琴子は、自分の悪戯を激しく後悔した。
「あ”」
パットはいきおいよく茶碗をつかむと息を止め、抹茶を一気に飲み干したのだ。
「ちょ、ちょっと!」
パットは天を仰ぎ、大きく息をする。そして次の瞬間
「Oooooooooops!」
盛大にムせた。さすがの琴子も、あわててポケットからハンカチを取り出してパットの
口許に持っていく。周囲がなにごとかと覗きこむ。
「ゴ、ごめなさい」
「だ、だいじょうぶ?」
なんとか咳込みは収まったようだ。
「ムチャするんだから」
ふう、と琴子は息を継いだ。
「ニッポン人になるのムズカシですね」
パットが涙目で笑いながら言う。
夕焼けが照り映える街を琴子とパットは歩いていた。
「琴子サン。キョウはどうもデシタ」
「いえ、こちらこそ」
「デモ、ニホン人スゴイですね。あんな飲み物をヘイキでノめるなんて。ワタシもガン
バラないと」
「・・・ちょっと遅いけど、ちょっと寄って行かない?」
「エ?」
繁華街を出たあたりで琴子が言った。
「おいしいお茶をごちそうしたいの」
「オチャ・・・?」
先ほどの記憶が蘇ったのか、パットがあからさまに不安な顔をする。
「あんなもんが、お茶だと思われたら日本の恥だわ。茶道をたしなむものとしてはここで
名誉を挽回しておかないとね」
パットがさらに不安な顔をする。
「サドー?琴子サン、ジョウオウサマですか?」
「・・・どこからそーゆう余計な知識を」
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