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その昼下がり、世界を支配しているのは、さあさあ、という
雨の音と時折、ひゅっ、と吹いていく風の音だった。少年と
少女が傘を差し、肩を並べて歩いていく。何かを喋り続け、
時折笑う少女。少年は少女の声の切れ目を探しているようだ。
「・・・・・」
やがて、見つけた切れ目に少年は割り込み、少女に何かを告げる。
少女は目を丸くし、そして少年を見る。
さぁぁぁぁ
どうしてあんなことを言ったのか。
どうしてあんなことをしてしまったのか。
わからない。わからない。なにもわからない。
少年を打った平手の感触。
少年を打った言葉の重み。
うそつき。いっしょだっていったのに。
あんたなんかどこへでもいっちゃえ。
あんたなんか だいきらい。
少女は駆けた。傘が意志ある物のように転げていく。
わからない。わからない。なにもわからない。
そう。いままで気が付かなかった何か。それが一気にあふれた。
だれかから、そんな話を聞いたような気がする。
あれはどのくらい前だっただろう。
つい、このあいだ
あれは、誰からだっただろう。
そう、あのひとだ
あのひとなら、おしえてくれるかもしれない・・
「藤崎です・・・はい。見つかりました・・・ええ。私の家の近所です。何か悩み事
を相談したかったらしくて・・・今日のところはちょっと心配ですので、私の方で
お預かりします・・ご自宅のほうには、私からご連絡します。はい。申し訳あり
ません。失礼します」
「夜分遅く申し訳ありません。芦谷さんのお宅でしょうか・・・あ、お母様でいらっ
しゃいますか。私、あゆみさんの高校で・・・藤崎詩織と申します。・・・・
・・・いえ、今日は遅くなってしまったので、私の家の方に・・・・いいえ、ちっ
とも。これも仕事ですから。・・・はい、明日の朝間違いなく・・・どうもすみま
せんでした・・」
濡れた制服を脱いで、詩織の部屋着を着たあゆみはダイニングにぽつん、と 座って
いた。シャワーを浴び、いつもはトレードマークのように結っている髪を下ろしてい
た。
「連絡はすませたわ。それにしてもびっくりしたわよ。あんなとこに座ってるんだもん」
「すいません・・でも、どうしていいかわからなくて・・・それで」
「頼ってくれるのはうれしいけど、ね。もうちょっとで警察に捜索願いが出るとこだっ
たわよ」
少女は下を向き、今にも消え入りそうだ。
「まあまあ、とりあえず食事にしましょう。何も無くてごめんなさいね」
詩織はあゆみの向かいに座る。テーブルには詩織がありあわせの材料で作ったちょっ
とした料理が並んでいた。
「お口に会わないかもしれないけど、さめないうちにどうぞ」
あゆみは、黙ってスープに口を付ける。
「どう?」
「はい・・・おいしいです」
「よかったあ。いや、今日ね、ちょうど両親がでかけちゃってて、一人で心細かっ
たのよ。」
詩織はあゆみに笑いかけてで見せる。
「・・そうですか。」
あゆみの表情が少しづつほぐれる。
「食べたら2階でちょっと話しましょう」
「え・・」
「女どうしの話」
「え・・あ・・はいっ」
にこりと微笑む詩織にあゆみはちょっとどぎまぎした表情をした。
ぱちん、と壁のスイッチを入れると、部屋に蛍光燈の明かりが満ちる。あゆみも
何度か入った事のことのある、詩織の部屋だった。
「ちょっとここで待っててね。そのへんのCDとか適当に聞いてていいわよ」
詩織はそう言うと部屋を出る。玄関の戸締まりを確認すると、来客用のフトンを
持って部屋に戻った。あゆみは、部屋に入った時と同じように捨てられた子猫の
ように座っていた。
「ちょっとごめんね・・・あんましいいおフトンじゃないけど」
「・・・すいません・・・」
ぱたぱたと手際よく詩織はフトンを敷く。あゆみはそのフトンの上にまた、ちょこん
と座る。
詩織はベッドに腰掛けると、足をぶらん、と一回ゆらし、そして、聞いた。
「で、何があったの?」
数瞬、静寂が部屋を満たす。やがて、少女は口を開く。
「・・・わからないんです・・・」
「なあに・・・?」
大方の予想は付いていた。でも、それを詩織が口にしたのでは解決にならない
だろう。
「・・・トモちゃんが・・・向井君が・・・留学するって・・・こんなチャンス
ないから、って・・・あたし・・・それを聞いた時、なんか・・・わからなく
なっちゃったんです・・・向井くんと離ればなれになるなんて・・・一度も考えた
事がなかった・・・」
「それで?」
「・・・わからないんです。あたし。どうしてあんな事を言ったのか・・うそつき。
あんたなんかどこへでも行っちゃえ・・・」
そこで言葉が切れる。次の一言には、鳴咽が混じっていた。
「・・・・あんたなんか・・・だいきらい・・・」
「・・・・・・」
あゆみが、堰を切ったように泣き出した。詩織は、黙ってあゆみの肩に手をかけ
ると自分の方に引き寄せ、抱きしめた。しゃくりあげるあゆみのかすかな声だけが、
聞こえる。
そのまま、どのくらい時間が経ったろうか。感情を爆発させ、落ち着いたらしい
あゆみが、詩織の手を静かに離れた。
「・・・それで、ほんとのところはどうなの?」
詩織が、柔らかく聞いた。
「・・・好きです。自分でも、全然気が付いてなかったんだけど・・・わたし、
トモちゃんが、向井君が好きなんです」
あゆみは、目を泣き腫らしていたけれども、しっかりと、確かめるように応える。
「・・・幼なじみって、空気みたいなとこあるからね」
これは、前にも話した事がある。・・・誰について言った言葉だったろうか。
詩織は、すっと立つと机の隅に放られていたあの封筒を取り上げる。
「ねえ、伝説の樹、って知ってる?」
「・・・ええ、聞いた事、あります。卒業式に校庭の隅の、あのおっきな樹の下で
女の子から告白された恋人たちは、永遠に幸せになる・・・って話ですよね」
「あなたは、信じる?」
「・・・・え?」
「・・・あたしね、こう思うの。きっと、この伝説は、女の子が勇気を出すための
きっかけになりますように、って誰かが言い出したんじゃないかな、って」
「・・・勇気・・・ですか?」
「そう。言い出した人も・・・きっと、勇気が出せなくて後悔したんだと思うの」
あのときの。あのころの。誰かのように。
「だからね。あゆみさん。これ、あなたに」
詩織は、時を経て黄ばんだ封筒を破ると、中の、あのころのまま。真っ白い便箋を
あゆみに手渡した。
あゆみは便箋を開き、中を読む。そして、目を見開き、詩織を見つめた。
「藤崎先生・・・」
「・・・そう。勇気がなかったばっかりに・・・ね」
自分は卑怯だ。つくづくそう思う。そういう意味では、あの頃と何も変わって
いない。でも、そうせずにはいられなかった。
あゆみは詩織を見る。詩織は、窓の外にいつの間にか目線を移していた。雨の
上がった夜空の月が、詩織の顔を青く照らしていた。それは、あゆみが知っている
藤崎先生ではないような気がした。自分と同じ制服を着た、藤崎詩織という、
一人の女生徒に見えた。そして、なぜ、詩織が自分にそれを渡したのかを理解した。
・・・苦しんでたんですね・・・・ずっと・・・
「・・・わかりました。先生の分の勇気もいただきます・・・」
「ありがとう」
あゆみに振り向いた詩織は、もう、あゆみの知っている詩織だった。
とりとめのない話をし、時間を過ごし、二人は床に就く。部屋の灯かりが落ちた。
先生
なあに?
トモちゃん、あたしのこと、どう思ってるのかなあ
さあねえ、でも
でも?
一番身近にいるのに、遠くに行っちゃうことを言い出せなかったのはなぜだと思う?
・・・・あ
・・・それが答えなんじゃないかしら
そう・・・ですよね
翌朝、あゆみを送り届けた自宅。恐縮するあゆみの両親に挨拶をしながら、詩織は
ちら、と向かいの家の二階を見た。あの少年が、こちらを心配そうに伺っていた。
あゆみと両親が、玄関に入った。詩織は少年の方を向いて軽くウィンクをする。
少年は、え、という顔をする。詩織は車に乗り込むと走り去った。
後は・・・なんとかなるでしょ。
冬の終わりに雨の在庫を全て使い切ったらしく、卒業式は快晴だった。
式。歓声。涙。自分のクラスを持っていない詩織でも、感慨はひとしおである。
彩子や未緒も、彼女たちを慕う生徒に囲まれている。彩子はけらけらと笑いながら
涙声の生徒の背中を叩き、未緒は感極まって泣き出し、生徒から逆に励まされていた。
詩織は、彼女との別れを惜しむ生徒たちに応えながら、あたりを見渡す。あの
二人は、いない。目線を移す。あの、古木。誰かのシルエットが、はっきりと
わかる。詩織は心の中でつぶやく。
・・・そう、卒業なのよね。
それが、誰に向かって言った言葉なのかは、彼女自信にもわからなかったけれど。
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