2
「ただいまー」
何やかや、雑用を済ませて、街をちょっとブラブラした詩織が帰宅したのは7時半を
回ったあたりだった。母親が夕食の支度ができていることと、彼女宛てに何通かの
郵便物がきてることを伝える。
部屋着に着替え、キッチンの食卓についた詩織は自分宛ての郵便物をチェックする。
大半はジュエリー、結婚式場といった類のDMだ。その中に一通、往復はがきが混
じっている。
「あら」
結婚式の招待状だった。
食事を終えた詩織は2階の自室に行くと結婚式の招待状に目を通す。高校の同級生で、
それほど親しい、とういうわけではなかったがよく遊んだ友人だった。
「みんな行っちゃうなあ。」
現在の詩織の年齢で独身、というのは特に珍しいというわけではない。しかし、
多数派というわけでもなかった。
高校を卒業してから、それなりに恋愛経験もあったし、一緒になることを考えた
相手がいないわけでもなかった。両親もはっきりと口にした事はなかったが、
そろそろ、と考えてはいるようなのだが。
それでも今現在、ステディな関係の異性がいない、という事実は変わりはない。
何となく取り残されたような寂しさを覚える。新郎の名前を見る。
「あれえ、この人」
確かクラスは違ったが同級生だったはずだ。詩織は確認をしようとして棚の上にまとめて
しまっていたはずの卒業アルバムを取ろうと、手を伸ばした。
「よいしょっと」
箱を手に取る。しかしそれは詩織の予想よりもちょっと重かった。どっしゃん!
詩織はバランスを崩して箱を落としてしまった。
「あーあ」
詩織は箱から投げ出されたアルバム、記念文集、スナップ写真・・。そんな諸々を
集め始めた。まるで、あのころの時間を凍らせて詰め込んだような箱。そこにいる
セーラー服を着た自分に、詩織は何故だか嫉妬めいた感情がゆらめくのを感じる。
「あれ?」
箱の底にひっそりと、隠してあったように封筒がひとつ。見慣れない、いや、見た瞬間、
それが何であったか、詩織は鮮明に思い出した。
「まだ・・・とってあったんだ。あたし・・・」
その中身は見なくてもわかっていた。一通の手紙だ。内容は、そう。
「・・・・あの樹の下に来てください・・・か・・・」
時を経て、純白だった封筒は古ぼけ、変色していた。けれど、その中にはあの時、
綴った言葉がそのまま眠っているはずだった。
詩織はそっとカーテンを開ける。隣家の2階、今は主のいない部屋が見える。
月明かりが、窓に照り映えている。ふと、あの古木がフラッシュバックする。
「なに考えてるのよ!」
詩織は、何かを断ち切るようにカーテンを引く。そして、手紙を手に取ると破り
捨てようと手をかける。しかし、そこから先、手に力が入らない。どのくらいの
時間、そのままだったろうか。詩織は大きくため息を付くと、
「バカみたい・・・」
そう言って机の隅に放り投げた。
詩織が翌朝目覚めた時、目が腫れぼったかった。夢を見ながら泣いていたらしい。
「・・まったく、どうしちゃったのかしらね」
ちょっと頭痛の残る意識を無理矢理たたき起こす。時計の針は、多少早いがもう
起きる時間だった。カーテンを開けて外を見る。2月の、手の届きそうで届かない
空が広がっていた。
日曜日。詩織は買い物に出た。どうもあの日以来、すっきりしない気分を晴らす
ためでもあった。春物を何点か買った後、歩行者天国になっているメインストリート
にある本屋に入った。
雑誌のコーナーを回って、ちょっと奥まった売場にある、教育関係の書籍売場に入ろう
とした詩織は、足を止めた。
「向井君?」
グレーのパーカーを着た少年が振り返った。
「あ、藤崎先生」
かなり驚いた様子でこちらを振り向いたのは向井友朗であった。彼が立っていたのは、
英会話や留学関係の書籍が並んでいる一角だった。
「ど、どうも」
「・・・片桐先生から聞いたわよ。すごいじゃない」
「え・・・あ、はあ、まあまだ決めたわけじゃないですから・・・」
「何いってるの。こんなチャンス二度とないわよ」
「はあ。でも色々不安もありますし、何より・・・」
「なにより?」
「藤崎先生とお別れするのが辛いです」
照れ隠しの笑いを浮かべながら友朗が言う。
「まあ。口説いてるつもり?」
詩織もわざと意地の悪い微笑を浮かべる。
「あ、いえ、そんな」
「うふふふ」
年の功で詩織の勝ち、だった。
「探したわよ・・・あれ?先生」
そこに、聞き覚えのある少女の声。
「あら。芦谷さん。そっか、待ち合わせか」
そこに立っていたのは芦谷あゆみだった。
「そう、ちょっと買い物にね。こいつ、来月から大学だってのにロクな服持って
ないんだもん」
「いいじゃん。別に」
「あーのーねー、おんなじ高校?って聞かれて恥かしい思いするのはあたしなのよ」
「なんでだよー」
「つべこべ言わない!」
詩織は思わず声に出して笑う。
「うふふふ。仲、いいのねえ」
「腐れ縁っすよう」
友朗が言う。
「それはこっちのセ・リ・フ。泣き虫トモちゃんとずーっと一緒に過ごすなんて思っても
みなかったわよ」
あゆみが一気にまくしたてる。
「おさななじみ、なの?」
詩織の声に、微妙な感情が混入している。もちろん二人も、そして詩織本人すらも
気付いていなかったけれど。
「そうなんですよ。こいつン家があたしン家の向かいなんですよ。」
あゆみが言う。
「・・・じゃあ、ずっと一緒に育ったんだ」
「好きでそうなってるわけじゃないっすけどね」
友朗が半分ふてくされて言う。
「あーあ、大学も一緒なんて、これからもずーーっと付き合わないといけないのかし
らね」
「!・・・」
友朗が不意に黙る。
「・・・どしたの?」
あゆみがまぜっかえす。
「・・・べっつにぃ」
友朗は答える。<平静を装う>という言葉をそのまま表現したような態度だったけれ
ども。
「まったく。口が減らないんだから!・・あ、もうこんな時間?じゃああたしたち
もう行きますから」
「はいはい」
あゆみは、友朗を引きずるように歩き出す。別れ際に
「それじゃ先生、また明日学校で」
「・・・そうね、また、明日」
・・・・また、明日、か。
本屋を出て、詩織は空を見上げる。夕刻の空は雲が垂れ込め始めていた。電気量販店
の店頭に置かれているワイドTVのニュースは盛んに季節外れの低気圧の接近をアナ
ウンスしていた。
翌日からの1週間は雲がほとんど晴れなかった。雨は降ったり止んだり。そんな
ぐずぐずした天気が、束の間の雲の切れ目を挟んで続いた。ただ、一雨ごとに、どこ
からか流れてくる金木犀の香りが強くなってくるような、そんな感じだった。
「あれ?おっかしいなあ」
週半ばの放課後、雨はちょっと小降りになった午後の保健室。詩織は机の上の
ノートパソコンと格闘していた。先日インストールされたばかりの新バージョン
のソフトがどうにも思い通りに動かないのだ。
「電算に文句言っとかなきゃ」
そう言いながら詩織は立ち上がった。ギブアップして職員室の先生に応援を
お願いしてみようと思ったのだ。ドアを開けて喧燥と嬌声の溢れる廊下に
出ると、
「あ・・・いいところに。芦谷さん、ちょっとお願い」
「え?」
「あ、やっぱしここだ」
あゆみが保健室の事務用机に座って、パソコンの設定画面を手際よく操作する。
「ごめんなさいねー」
「いいんですよ。これっくらいだったら。それにしても藤崎先生でも苦手な
ことあるんですね」
OKボタンをクリックし、パソコンを再起動させながら、あゆみが言う。
「そりゃそうよー」
「でも、このこと言ったら、またみんな羨ましがるなー」
「あらどうして?」
パソコンのシステムチェックを横目で確認しながらあゆみが言う。
「だって藤崎先生、みんなのアコガレだもん」
「あらあら。もっと夢は大きく持たなきゃ」
「でも先生、きれいだし、優しいし。ここだけの話なんだけどー、男子なんか
けっこーヤラシイ目で見てますよ。ウチのあのバカみたいに」
OSが起動し、ログイン画面が表示される。詩織は、あゆみの脇から手を伸ばし
パスワードを打ち込む。
「まあ、高校生の男の子なんてそういうもんだしねえ。あたしたちの頃も
みーんな、女の子の事ばっかりだったし」
「今度はどうです?」
あゆみが椅子から立ちあがる。代わりに詩織が机に座って先ほどの作業ファイル
をダブルクリックし、ソフトを起動した。
「まあ先生の理想、高そうだからなあ、って男どもも言ってますけどね」
「そうかなあ」
「だって、あんなにきれいなのに、恋人の一人もいそうにないのは変だって」
「何言ってるのよ。片桐先生や如月先生も同級だけど、花の独身よ」
「あはは、そういえばそうですね」
「えっと、ここをこうして・・っと。あ、直ったみたい」
「あ、良かった」
「ほんと。どうもありがとう」
「いえいえ、どういたしまして・・・で」
あゆみがちょっと身を乗り出す。
「・・・なあに?」
詩織はキーボードに手を走らせながら聞いた。
「・・・先生の理想のタイプ、って?」
「え?・・・な、なによ唐突に」
詩織は目の前で手を叩かれた猫みたいな表情になる。
「・・・いえ、参考までにね・・・」
あゆみは、詩織の反応を見てにやにやしている。
「理想・・ねえ」
詩織はちょっと視線を泳がせる。目の端に『彼』の笑顔が止まる。
「・・・高校の同級生で、いたんだけどね」
「え?それでそれで」
「振られちゃったわよ。当然」
嘘だ。振られたんじゃない
「えー、もったいないー。バチ当たりますよー、そいつ。どんな奴だったん
ですかー?」
「ないしょよ。でもね、振られたのにはわけありなの」
「え?」
そう。
「気が付かなかったのよ・・・彼のこと・・・あんな近くにいたから・・」
「近く・・って?」
ふ、とあゆみは詩織の横顔見た。
「・・・・!」
その目に、いつもの笑みでなく、憂いが浮いている事にあゆみは気付いた。
「あ、変な事聞いてすいませんでした。それじゃあ、また」
「はい」
あゆみは、詩織に会釈をするといそいそと退室した。
「・・・先生」
ちら、とあゆみは保健室の戸口を振り向く。あゆみは本能的に自分が詩織の
触れてはいけない部分に触れた、と感じていた。そして、それが、どこか
自分自身への漠たる不安と通じている、とも。
「・・・また、雨か・・・」
詩織は、窓の外を見ながら独り言をつぶやく。
|