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月光。青。湖畔。私はとぼとぼと歩いている。あたりにはだれもいない。物音も しない。寂しさと不安が、瘴気のように私を覆う。 アタシハヒトリ? 応えるように声がする。 ソンナコトワナイワ。アナタニハアタシガイルジャナイ。 私ははっとして、声のした方を見る。湖。紅い。いつのまに?。月。真紅。これは なに?まるで、何かのように真赤な水が渦巻き、盛り上り、ヒトの形になる。どこ かで見た、いいえ、とてもよく知っているヒトの形。 アタシハココヨ。アナタモココヨ。 チガウ。アタシハソコジャナイ。 ウフフフフ。ウソヲツイテハイケナイワ。 チガウ。チガウチガウチガウチガウ。 ウソツキウソツキウソツキウソツキ。 声が嘲笑う。ヒト影は、ぱぁっと水滴となって砕ける。真赤な真赤な水滴。私の 視界が赤く赤く赤く赤く染まっていく。 赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤 「きゃぁぁぁぁ!」 自分の叫びで目が覚めたみたいだ。ひどい夢。息が嵐のようだ。心臓が壊れそうに 鳴っている。 カーテンの隙間から入る光は、白い月の光だった。まだ真夜中のようだ。私は ベッドから身を起こすと窓のカーテンをちょっと開けた。森の向こうに湖が見える。 月光が湖水にきらきらと輝く。宝石をちりばめたみたいに。しだいに息や心臓が 落ち着いていく。 お仕事の仕上げででちょっと無理しちゃったから疲れたんだろうな。朝になったら 届けにいかなくちゃいけないのよね。さ、寝よう。 チガウデショ? 「!」 誰かの、声?、耳をすましてももう聞こえない。外の森で鳴くフクロウの声だけが しんとした空気を伝ってくる。私は、息を大きく吐くと、また横になった。
「すてき!」 「ほんとだ!」 「まあまあ、ありがとうね。ティナちゃん」 亜麻色の髪を三つ編みに結った女の子、その女の子より3つ位上の青年、そして 中年の女性が、ほんとうに嬉しそうな顔で言ってくれる。 「やっぱり、ティナちゃんの仕立てはこのへんじゃ一番ね。ハーヴェルの奥さんも いい腕だったけど、ティナちゃんはそれ以上だわ」 中年の女性が、亡くなった母の事を引き合いに出して誉めてくれる。私はどういう 表情をしていいかわからず、とりあえずちょっと微笑んでみせる。 「母さん!」 「あ、あらあらごめんなさい。」 女の子が女性をたしなめる。 「ごめんなさい。ティナ。がさつな母で」 「いいのよ。ルシア。もう2年になるんですもの」 私は今度は本当に微笑んで応えた。 「ああ、でも、幼馴染の君のドレスで婚礼を上げられるんだからこんな嬉しい 事はないよ。」 青年が話を変えようとしたのか、私に笑顔を向けて話してくれる。スコット。私と ルシアの幼馴染。そしてルシアの婚約者。 「嬉しいだなんて、そんな」 私の鼓動が上がる。私は笑顔をなぜか正視できずちょっと視線をそらした。 「私こそスコットとルシアの結婚のお手伝いができるんですもの。こんなに嬉しい ことはないわ。素敵な式になるといいわね」 「なるわよ!だってティナのドレスだもの!」 お日様みたいな笑顔でルシアが笑う。ほんとうに素敵だ。 「ほんと。ティナちゃん。明後日の式はいい式になりそう」 ルシアのお母様は満面の笑み。でも次にはちょっと表情が曇る。 「でも式が終わるとルシアも帝都に行っちまうんで嬉しいやら悲しいやら」 お母様はちょっと寂しそうに言った。 「え?スコットはここに住まないの?」 私はスコットに言う。スコットは帝都の警備軍に入っており、今は婚礼の為に休暇を もらって帰ってきているのだ。 「うん。結婚したら軍務を離れてこっちに住もうかと思ったんだけど、もう しばらくだめみたいなんだ」 「どうして?」 「うん。帝都の近くに魔族の一味、ヴァンパイアらしいんだけどね。そいつら が盗賊団を組織して住み着いてやがるんだ。それで今、帝都軍は大騒ぎに なってるらんだ」 「まあ」 私の背中を言いようの無い感情が走る。 「まったく、ヴァンパイアの連中ときたら女子供でも容赦無し、だ。クズ みたいなバケモノだよ」 スコットは心底嫌悪を露にして吐き捨てた。 「そ、そう」 あたしの表情の変化を見たか、スコットはまた優しい笑顔に戻り 「ごめんごめん、変な話、しちゃったね」 と言ってくれた。 「うふふ。スコットは実はその討伐隊の隊長なのよー。すごいでしょー」 ルシアが自慢そうに言った。ルシアの声が遠のいていくような気がする。 「いやあ、そんなすごくは」 照れ笑いするスコットが揺れる。あれ?あれ? 「ティナっ!」 視界が大きく揺らめくと冷たい床の感覚があたしの頬に伝わってくる。ルシアの 叫びが遠のく意識の中で聞こえた。
次に目を開けると、心配そうに覗き込むルシアの顔があった。 「だいじょうぶ?」 「あ・・・あたし」 「居間で話してて急に倒れたのよ。ドレスの仕上げで無理したんでしょ?」 「ごめん・・なさい」 「またそうやってあやまる。ティナって子供の頃から変わってないのよね」 ルシアがいい香りのハーブティを注いでくれた。 「ほんとうね。子供のころからこんなだもん。ルシアがうらやましいわ」 ルシアはからからと陽気に笑って、 「なーに言ってるの。おかげであたしは料理裁縫まるで駄目。これからスコット がかわいそうだわ」 スコット、か。私はちょっとルシアの笑顔から目をそらし、そしてベッドから 体を起こした。 「あん、まだ寝てなきゃ」 「ううん、忙しいところ迷惑かけちゃ悪いわ。もうだいじょぶだから」 「そう?無理しちゃだめよ。式にはぜーったい出てほしいんだから」 「・・・わかってるわよ」 私はルシアの手を握って応えた。 「・・・じゃあ、気を付けてね」 心配そうな顔でルシアが言う。 「うん」 ほんとうに、優しい、いい子。いいスコットのお嫁さんになるわね。それに 比べてあたしときたら ホシイノ? 「声」だ。 「え?」 「どうしたの?ティナ。ぼっとして。ほんとにだいじょうぶ?」 「え、ああもうこんなに元気よ」 あたしはガッツポーズ を取ってみせた。ルシアはまだ心配そうだったけどすぐに 笑って、言った。 「うふふふ。じゃあほんとに気をつけて」
外は真昼だった。私は何度か木陰で休みながら家に付いた。ああは言ったものの やはり辛い。舗装されていない砂利道は、私の足を痛めつける。家の前の坂道を昇 ろうとすると、心臓と肺が悲鳴を上げそうになる。私は時々自分が壊れかけのゼン マイ細工ではないかと思う時がある。家に着くなりあたしはベッドに倒れこんでし まった。 「ふう」 天井を、見つめる。 「体が丈夫だったらな。あたしだって」 声に出して、私ははっとした。あたしだって、どうするの?スコットを?ううん。 そんなわけないじゃない。昔からスコットもルシアも、いいお友達よ。 ホシインデショ? 「!」 あの「声」だ。私は飛び起きる。 「誰か居るの?」 無論、今、この家に住んでいるのは私だけだ。私の声だけが広い部屋にひびく。 「気のせい・・・だよね」 私は何かを確認するようにつぶやく。そして、ふと、部屋の隅にある鏡を覗く。 見慣れた、自分の顔だ。疲れたせいだろうか、瞳の色が普段より濃いような気が する。赤い、紅玉のような色だ。そしてこれは 「クズみたいなバケモノ、か」 父の、ヴァンパイアと呼ばれる魔の一族の証でもある。もっともハーフの私の場合、 普段はそれとわからない程度の色なのだが、時折、自分でもぎょっとする光を帯びて いる事がある。 「父さんもそうだったのかな」 私はまた、横になって考える。父の顔を見た記憶はない。母は「父は遠くにいる」、 としか教えてくれなかった。生きているとも、死んだとも聞かされていない。 2年前、流行の病で亡くなる間際に、母は父の素性を初めて打ち明けてくれた。 ショックがなかったといえば嘘だ。でもそれほど大きなショックでなかったのも確か だ。自分でも、ある程度わかっていたんだと思う。その父を、母が悪く言っているの を聞いた事はない。10数年にわたってほっておかれてにも関わらず、だ。そんな 事を考えながら私はまたうとうとしていた。