タイトル:ときメモは貶されてもグラツーは貶されない不思議 |
作成日:2007年12月23日 |
カテゴリ:[VideoGame] |
コメント:5
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そーいや、初代ときメモが流行った当時
リアルリアル言われてる『グランンツーリスモ』だけど、ちっともリアルじゃないやん。あんな嘘臭いゲームねえぞ。
だって時速200キロ超でクラッシュした車がタイムロスだけでコースに復帰できるんだぜ?普通もうロクに走れないし、悪きゃ死ぬ。リアルなゲームなんだったらクラッシュしたら『鉄騎』みたいにセーブデータ全消しで終わらせなきゃだめだろ。まったく実際の車の運転を知らないゆとり共が持ち上げるゲームときたら。
と言ったらたぶんあっちこっちからツッコまれまくりになると思う。俺だってツッコむ。
けど、『ときメモ』に始まる恋愛関連のゲームに関してだけは、こういう物言いが許容される不思議。
そもそもゲームは快楽原則に則ってるコンテンツなのだから、それがいかに「リアル」を標榜するシミュレーションといえど、まずプレイヤーを不快にしないことがデザインの大前提だ。だからレースゲームではいくらクラッシュしてもプレイヤーの命がなくなることはない。
それは恋愛を扱ったゲームについても同様で、基本的には恋愛の甘いところだけを取り出したデザインになるのは必定であって、ことさらそれを以って非難というよりもはっきり言って難癖付けのこき下ろしをするてのはダブルスタンダードが過ぎるんじゃないのかねえ。
あと上のエントリで直接お題になってる『ときめきメモリアル』の第一作に関して言えば、あれ起動してプロローグ見たら、これ「リアルな恋愛」なんかじゃなくて、80年代のラブコメ漫画な世界観ベースの「恋愛ストーリーモノ」だよなあってのは容易に察せられると思うんだけど。どうもその辺が読めてない人が結構いそうだな、って気はするけどな。
まあ恋愛系のゲームにいちいちリアルを持ち込もうとする人は、グラツーでフェンスにブチ当たって死んでください、ということで(暴論)。
オタクが怪獣や変身ヒーローに持ってるのと同じくらい
女性は恋愛観にこだわりがありますからねぇ。
自分は10年前、「なんでそんなゲームなんかすんの?」と聞かれ
「先輩だって恋愛ものの少女漫画よむじゃないですか?」
と答えましたが。
QMAの線結び問題で、ジオンのMSの型番よりもときメモ声優の問題のほうが正解率が高いのを見ると微妙な気持ちになります。
それはともかくときメモってデザイン的には「高校生の自分が育成対象の育成シミュレーション」なんですよね。その結果として恋愛があるだけで。
なんか「ゲーム通」とか「硬派ゲーマー」自称する方々ほどどうもその辺を理解しない傾向があるように感じます。
古い記事にコメントしてすまないが
グランツーリスモは「走行がリアル」というのを追求してるため、
ほかのものは正直言っていらない。よってクラッシュも必要ない。
「クラッシュ=リアル」って考えるあなたのほうがゆとりなのでは?
現在の世の中ではグランツーリスモシリーズのナンバリングタイトルは
必ず100万本売れてるという。
GTが出るまでリアルは追求されなかったんだよ。
つまりときメモと同じ運命。
なぜ走行のリアルを追求するとクラッシュが必要ないんですか?
だったら壁もコースも必要ないです。あと売り上げがこの論旨に何の関連があるのですか?
ゲーム性の話に売り上げ本数を出されてもリアクションのしようがありません。
お好きなゲームのことを擁護したいのは理解しますが、もう少し論旨をまとめてからお書きになったほうがよろしいのではないかと老婆心ながら思います。
というか別に、グラツーを貶してるわけじゃないんですが。それともお好きなものに対する否定的(に見える)ご意見は全てお嫌ですか?
※管理人のレスは遅れ気味です。どうかひとつ気長にお待ちください。
ごきげんよう(挨拶)
個人的に思うに、これは「先駆者であったことの悲劇」なのかなぁ、と。
つまり、それまでは「こういう」ジャンルのゲーム自体がなかったため、何か既存のカテゴリに組み込まれることになったわけですが、そこで「恋愛『シミュレーション』」とカテゴライズされました。
ところが、この時代というのはまだ「10万人のミヤザキ君」に代表される(そして後年の「フィギュア萌え族」に至る)「美少女モノ」へのパージの影響が色濃く残っていたわけで…。
#実際、この頃のヲヤヂ系週刊誌でも「ゲームと現実との区別がつかなくなり(ry」という危惧が書かれた記事もあったし