記事No.[ 311 ]
タイトル:もう一年か |
作成日:2004年07月03日 |
カテゴリ:[Temporary] |
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ある日突然、この上もなく理不尽な理由で愛する我が子を喪った哀しみと怒り、というのは部外者には想像もつかないほど深く、激しいものだろう。
その心を癒すために自らの心情を書き綴ったり、それを同じ境遇に陥ってしまった人たちと分かち合ったりすることも、心情としてはよくわかるし、自分が同じ立場にたっても、それに近いことをするだろうと思う。
けれど、ソレを単なる『お涙頂戴の悲劇』として安易に消費してしまうってのはどうなのか。床屋政談・井戸端会議のレベルでならともかく、ジャーナリズムを自称するメディアまで、何て悲しいんでしょヨヨヨヨなお取り扱い、てのにはどうしても違和感と嫌悪感を覚える。
そうやって世の中を思考停止にさせちゃうことが、ほんっとーーに被害者の霊を慰め、遺族の無念を晴らすことになるのか。そして事件の再発を防ぐことに役立つのか。
所詮他人、しかも野次馬でしかない我々が未来を永遠に奪われた子供達のためにしてやれることは涙を流したり、ヒステリックに喚き散らすことなのか。もう少し考えてみるべきじゃないんだろうか。
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