タイトル:ネットと現実に区別をつけるな |
作成日:2005年10月03日 |
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コメント:6 |
ここんとこというか、あいも変わらずというべきか余計な事をネットで言っちゃって騒ぎになるヒトが後を絶たない。たとえばホットドックのおねえちゃんとかエアロパーツのあんちゃんとかバス会社土下座のジャーナリスト氏とか。あと「誕生日だからうざいこと言われたかねえ」とか(これはメールでかな)おっしゃった上場企業の社長様もいらっしゃいったようだが。
しかし何でこう、揃いも揃って「それを公言しちゃダメだろ」というあたりのサジ加減がきかんのか。だいたいうっかりすると宇宙空間まで届こうかという勢いで、どこでも繋がっちゃう、ということはお隣さんから宇宙人まで、どこの誰に見られるかわかんないインターネットというスペースに文章を乗っけるんだから、おのずとやっちゃいかんこと、なんてのはわかりそうなもんなんだが。
こういう人たちてのはたぶん「ネットにアクセスしてる他人」を具体的に想定できないんだろうな。
インターネットを半径10メートルくらいのコミニュケーションのツールとしか認識できてない。だから、飲み屋で話すたいなノリで悪口雑言だの武勇伝だのを調子に乗って書き散らしちゃうんだろうね。
いや、飲み屋の馬鹿話だって周りにゃ他の客や店員さんがいるわけで、誰からか聞き耳をたてられてるかもしれない、て意味じゃネットと何も変わりはない。実際にうっかりしたことを口走ったばっかりに見知らぬ人とがトラブルになる、なんて事だってあるし。
ネットの弊害を言い立てる人たちが使う常套句に「ネットと現実の区別をつけて」というのがある。
冗談じゃない。ネットと現実に区別なんかつけちゃいけないのだ。
ネットは現実のほんの一部の映し身でしかない。現実でやっちゃいけない事はネットでもやっちゃいけないことなのだ。
ネットで言論活動をなそうと思う者は、このことを常に忘れてはいけない。でないと、誰もがエアロなアンちゃんになってしまう、そんな風に思う。
以上、自戒をこめて、再確認をば。
昔みたいに「ネットに接続したら人がいた」っていうんではなく「友達がみんな接続してるから自分も」てところがネット上の人間関係の起点になることも多いんでしょうから、そこらあたりでの空間認識の錯誤、てのはありそうですね。
流れとか世代とかいう話で行くと、大手パソ通系、fj系、あとUG系という大きい流れ(思いつきで書いてるんでいい加減ですが)があって、そこに端を発する慣習とか認識の微妙なズレがまんま現状のネット文化に流れてきてるのかなあ、という気がします。
よく繰り返される無断リンクとか「奇妙なネチケット」議論なんてのはこのあたりの認識のズレが具体的な軋轢となって噴出してるんじゃないかという印象があります。是非はまた別として。
ネット上の掲示板にしろ、サイトにしろ、「インターネットというのは現実」なんですよ。けっして絵空事じゃない。
向こうに人がいることを想像できないんじゃなくて、してないだけだと思う。文面から表情や言葉遣いを想像しようとしてない。
仮想現実ではなく、存在するもののはずなのにマスコミや報道メディアはそこに人が存在すること許さないように思えてくる。
顔が見えないコミュニケーションに怖がっているんですしょうかね。または人が存在することが困るんでしょうか。
乱文にて失礼
本来「仮想XX」というのは数値計算のみで構成されたシミュレータを指す単語だったはずなのですが、いつの間にか「コンピュータを介するもの一般」みたいな使われ方にシフトしてるような気がします。
この部分でどうも論が言葉に引っ張られてる感はありますね。
外界からのパラメータが入ってしまったらそれはもう「仮想」ではないと思うんですが。
このへん恣意的なのかどうかまではわかりませぬが。
そういえば、ちょっと今ソースを探し出せないのですが、virtual realityという単語を始めて使った人が、「このネーミングは間違いだったと思っている」というような事を言っていた記憶があります。言葉が一人歩きして困ってる、みたいな。
>>kimllaさん
バーチャル・リアリティ(廣瀬通孝/産業図書/平成5年)
で見かけたことがありますね。元ソースは判りませんが・・・
あー、どうもです。
たぶん見たのはそれの孫引きだったかなあ。そのうちまた探してみますー。
その問題は想像力の貧困さと密接にリンクしている感がします。
モニタに映っている内容が認識できる現実全てで、その向こうに存在する
論理空間を認識できない人たち。
ネチケットなんて知らずに気軽にネットに踏み込めるが故の不幸。
世代・アーキテクチャが違うんでしょうね。10年以上前にインターネット関連の
ムックを読み込み、インターネットの仕組みを理解してから踏み入れた自分とは。