タイトル:レポートをネットからのコピペで作る大学生 |
作成日:2005年08月29日 |
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http://d.hatena.ne.jp/kanose/20050829(ARTIFACT@ハテナ系)
まず言っておくと、学生の授業のレポートがネットからのコピペで構成されてても、それはそれでアリなんじゃないの?別に。てのが個人的な見解。
だいたい学校のレポートなんか昔からそんなもんだし、多分ネットが禁止されればそのへんの図書館の文献の丸写しになるだけだろう。
ぶっちゃけた話、「たかが」大学のレポートに大層なことを期待してる先生、てのもそうそうおらんのじゃないかと思うのだ。
該当者の方々に怒られるのを覚悟で言うけど、高々20年そこそこしか生きてきてない人間に数週間ぽっちの猶予を与えたからといって、んなハイレベルな論考が出てくるわきゃないのである。
もちろん中には、そんな「たかが」においてすら超絶な一文をものする『天才』がいるやもしれないけれど、そういう人たちというのは数少なきがゆえに貴いのであって、大多数の学生さんは、やっぱり「たかが」でしかないのだ。
だいたい採点する先生の方だってうっかりした「自分の言葉」を読まされるよりは、ちゃんと整理・校正されたネットの文章を読む方がストレスが少なくてすむんじゃないかと思うんだがどうだろうか、なんてのはちと極論ではあるけれど。
とは言いつつも、リンク先のエントリの、さらに先のリンクにあるような「元文章のハイパーリンクまでコピーされてた」なんてのはやっぱり困りもんである、と思う。
それって要は『自分のレポートを一切読み返していません』『コピペ元の文章が出された課題に対しての解答になっているのかどうか、あるいは誤情報が含まれているんじゃないのか、とかそういうチェックすらしていません』て自白してるようなもんだろう。
倫理的・法的な問題以前によくそんなものを提出できるもんである。
進級とか卒業とかがかかってるレポートにソレモンで提出した挙句に、不可食らったらどうする気なのか。
課題を出す側がほんとうに知りたいのは、教えた事をどれくらい理解したか、あるいは理解しようとしたか、ということだろう。
文章自体を借りるのはまあある程度許容する(ほんとはいかんのだろうけど)にしても、それは課題に対して、考察し理解した結果の引用として提示されるべきだろう。
まあそこまで考えてレポート書き始めたら、コピペオンリーで構成するてわけにもいかなるかもしれないけど、ね。
ま、年寄りとしては『何のために大学行くんだ』とまでは言わないけれど、長い文章を書く訓練をみっちり積ませてくれるところなんてのは、大学以外にはそうそうないわけで、そういう意味での機会を自ら放棄する、てのは先々を考えるとあんまし得策じゃあないよ、とだけは忠告しておこうと思う。
今の世の中、三十路越えても指示待ちする、新人気分の中堅社員も沢山居るわけで、大学がと言うよりも、社会全体から自分で考える行為が薄れていっている感もある。
私の周りのサンプルだけで話すと、こういった風潮に寛容なのは白紙状態からマンツーマンで覚えさせるタイプの人で、私みたいに<解らない事を整理してからもう一度質問し直せ>タイプの人間には絶えられない惨状と映るのではあるが・・・
こういったことを考える時に、葉鍵原理主義者とときメモやTLSの楽しさを議論している場が浮かんでいる時点で、私も相当な駄目人間であろうとは思う。
まあ学生時代にネットがあったら自分もきっとやってたと思うんで、あまりデカいこたいえませんが。特にパンキョーなんか。
本来こういうレポートで試されるのは、結果よりも思考の過程なんだと思います。要はどういう筋道を通ってそこに至ったか、という。
コピペだと、その思考の過程がチェックできないのが最大の難点でしょうな。
葉鍵vsときメモというより、PARとかチートコード使用の是非論争に近い気がしないでもないですね(苦笑)。
大学生のレポート製作ずいぶんハイテクになったもんですなぁ。
うちらの時は提出箱から1つ盗み出して丸写しとかでしたけど。
#単純な物理学のレポートでしたけどw
そもそも、レポート書かせる目的ってのは、
「あたえられた命題に対して、自分の脳みそで考える訓練」
であると思うんですがねぇ。
そんなことばっかりしてるから、
放射能容器の検査データ改ざんとかどうとも思わないんでしょうな。
#学生実験のレポート、つじつま会わせにデータ改ざんが横行してたなぁ。
#でないと説明不能のデータの山が………。