タイトル:オタクは結局新たなF1層でしかないのか |
作成日:2006年05月16日 |
カテゴリ:[Otaku] |
コメント:8
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と、ブログらしく適当なく思い付きをよく調べもせずに語ってみるテスト。
いや例の『ハレ晴レユカイ』まだ買えてねえぞこうなったら『こころのとびら』買っちゃうぞコンチクショウ、ってそれはともかく、このへんの「涼宮ハルヒ現象」とか後世の歴史家と田中芳樹先生に言われちゃいそうな一連を見てると、オタクってなんというか、「F1層」みたいなトコに着地しちゃったのかなあ、みたいな思いがふと。
いや作品内容とかデキとかい話を脇に置くと、実は「ハルヒ」てのは月九とかあのあたりのいわゆる「テレビドラマ」、×ニ病なオタがケッ!とか言っちゃうような番組とまるっきり相似形をなすコンテンツじゃねえのか、って気がしてならないのだ。
どういうことか。
ここでそのケッ!のあたりのブツのヒット要因、てのをちょっと考えてみよう。
(1)そこそこ売れてる原作
(2)旬のタレントが出演
(3)翌朝、職場や学校での会話のネタに使える話題性
あとは当然ブツ自体の面白いつまらない、てのはあるとして、大前提としてとしてはこの三つはまず外せないポイントであろう。
で、だ。このうち(2)を、旬のキャラクター(ツンデレ・メイド)、(3)の職場や学校をネットコミニュティに置き換えてみると、「ハルヒ」というのが実はまっこと王道を行っているコンテンツであることがわかる。
特に(3)。「ハルヒ」は、作品の作り自体の素っ頓狂さもさることながら、深夜アニメとしては破格の多局ネットによって、非常に「語りやすく」なっている。この事が、「ハルヒ現象」の大きな原動力のひとつとなっているのは間違いないだろう。つまり、「ハルヒ」はある意味勝つべくして勝ったと言えるんじゃないかと思う。
ここでちょっと興味深いな、と思えるのはいわゆる「普通の」世の中の動向とはあんまし相容れないんじゃないかなあ、と何となく思ってきたオタクという人種が、「普通の勝ちパターン」と同じフォーマットの「ヒット作に」食いつき、原作本やらCDやらに消費を還元していく、というこれまた、「普通の勝ちパターン」と同じフォーマットのマーケティングに乗っかっている、という点だ。要するに、オタクという人種と、広告でいうところのF1層・M1層、20〜34歳くらいの平均的な若いモンという、互いに不倶戴天(wといっていい人種は少なくともコンテンツ消費という点では何ら変わらないのだ。つまるところ、オタクというのはありていな消費者の1セグメントにしか過ぎなかったのだ。なあんだ。
こういう何かつけこまれてるよな、みたいな状況には、個人的には「何だかなあ」な感が拭えないのだけど、今のボリュームゾーンな世代のオタクな方々的にはどうなんだろう。
連帯を求めて孤独を恐れず、な古オタクとしてはハズレモンはハズレモンらしくもうちょっと根性を入れて世をスねんかい!と思ってしまうのが正直なところではある。
まあ、当人が幸せならそれはそれでいいんだろうけど。
月九と対比するなら、放送前の話題づくりってところを比べなきゃ嘘だと思う。
月九のドラマは放送する側が、見てない人間は非国民くらいの勢いで刷り込み活動をしてる。
放送する前の話題性の方がむしろ肝だから。
放送する前から、市場を誘導して勝利が決まっているのが月九的なんでなかろうか。
確かにOPもEDも力が入っていたし、当たるべくして当たったとは思うけれど。
そのEDを厭というほど目に付くところに配布して話題性を高め、放映前から勝ち組になる、キミキスの様な事しないと月九的と言うには弱い気もします。
「長いものには巻かれろ」
「寄らば大樹の陰」
とかいう言葉もあるように、日本人の国民性には「大きな流れに乗ればとりあえず安心できる」、一言でいえば「右に倣え」という性質があるようですしね。
それで、ヲタであれ非ヲタであれ「流行に乗る」というのが「自分が『個性的である』という優越感」、「『おかしなことをしていない』という安心感」の両方を満たせるようになっているのかな、と。
すいません、間違えてまったく無関係のウチのエントリで、こちらにトラックバックを送ってしまいました。
(こちらのエントリに関して何か書こうと思い、文章を作成したところでまったく違うことに変更したが、トラックバックの部分を削除せずに保存したため送られてしまったといういきさつでして……。)
お恥ずかしい。トラックバックは削除してくださるよう、お願いいたします。
お返事送れて申し訳ありません。
>新田さん
TBはこちらで削除しておきました。わざわざのご報告どうもでした。
>あるんさん
確かにそういう側面はありますね。元々オタク趣味というにのが消費を前提としてる以上、そこに戦略的マーケティングが入り込んでくるのも必定なんですよねえ。
ただ、そこにむざむざ乗っちゃうのも何となく面白くないなあ、と、自分なんかは思っちゃうんですが。結局買うにしても、何かエクスキューズが欲しいというか。いや、オトナゲないなあ、とは重々自覚してるんですが。
続きー
>かくりさん
確かにそういう意味だと厳密には月九的とは言えない面はありますね。
ただ、こういうオタク物件に関して言うと、事前の口コミによる情報流通が一般のコンテンツより大きい傾向がありそうなので、そのあたりをマーケティングのサイクルとしてどう捉えるのか、ですかね。時間と気力があればもうちょい突っ込んでみたいネタではあります。
>物体Xさん
「長いものにはまかれろ」というより「踊らにゃ損損」じゃないかと。まあその辺の気持はよくわかるんですけどね。
長いです。ごめんなさい。
オタクは、経済においては「月9」の下位文化であると思います。
「月9」が持つ商品宣伝力は、ドラマ単体ではそれほど大きくないですが、メディアや雑誌と連動した時の市場形成力は絶大なものがあります。その影響は、衣料や住環境からライフスタイルに至るまで及び、「月9」のスタイルを忠実に身につける経済力がある層が、F1文化圏の中で勝ち組になっていきます。
勝ち組が「月9」の中核を担うようになれば、「月9」市場はますます拡大する一方、そこに入りきれない下位層を作り出します。乱暴に言えば、それがオタクだと思います。
もともと消費行動という点では同じような日本人が、思春期青年期と経るにつれてエビちゃんと文化系に分かれるのですから、F1もオタクも根は同じと考えます。
ただ、市場の規模が違う。「月9」がカバーするのはライフスタイル全般ですが、オタクのマーケットは趣味の消費に留まる。衣料に毎月十万近く注ぐOLはあり得ても、DVDに毎月十万というオタクは多数派ではないと思います。
そのように、経済においてはF1がオタクの上位層を占めているからこそ、「オタク市場は140億円」といった話が勝ち組の視点から降ってくる。ハリウッドがエヴァやドラゴンボールを吸い上げることはあっても、オタクが野ブタ。をプロデュースすることは無い。
(余分がだらだら)
ただこれは経済面の話であって、文化としてはオタクは「月9」の下位文化ではないと思います。そもそも男性は、ドラマに没入して一体化するタイプではないですから、オタクと「月9」は文化として全く異種だと考えます。
オタクと対抗する文化は、「教養」や「クラシック」的なものではないかと考えます。
現実にある文化の中で最良のものをコレクションし、書斎の中にミニチュア世界を作りたがるのが男性であると考えれば、古典文学やレコードや前衛映画を集めるのがオタクの走りであったのではないかと思います。そこから徐々に教養色が抜け、ボトルシップや鉄道模型が愛好され、スポーツ選手や自動車のデータが愛好され、行き着いたのがアニメ・ゲームだったのではないかと。A級の技術を使ってB級の物語を楽しむ、贅沢とも無駄とも言えるオタクに辿り着いた。
そう考えると、ポストモダンの中で一種の対抗文化として生まれたオタクが、商業として成長する中で、必然的に「月9」の下位市場として取り込まれていったのが現状なのかな、という気がします。だらだらとすみませんでした。
※管理人のレスは遅れ気味です。どうかひとつ気長にお待ちください。
「月9ドラマ」との一番の違いは、
月9の方は「ドラマの合間に入るCM」がメイン
(ビジネスとして見ればドラマはCMを見てもらうためのオマケですから)
ハルヒ(じゃなくてもいいけど)は「関連商品」がメイン
ってトコロではないかと。
(まあ、近ごろじゃテレビドラマも最初から関連商品売り上げを視野に入れてるそうですが、「月9」であることの価値は、やっぱり「視聴率=時間帯のCM放映料金」でしょうから)
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今となっては「オタク」と「非オタク」の違いは、嗜好の違い(アニメ/月9)じゃなく、消費行動の違い(関連商品を買う/買わない)にあるんじゃないでしょうか。(で、消費に直結してる分、「より有力なマーケティングのターゲット」なわけで・・・ 当然、各種ノウハウを活用しつつ全力で「仕掛けて」こられちゃうことに)
「嗜好による逆選民意識」(失礼な言い方ごめんなさい)を維持するには、この「嗜好」(アニメetc.)はメジャーになりすぎてしまった・・ ってことでしょうね。アニメ番組を見るぐらい、今どき誰でもやってることですから。
分水嶺は「対象がなにか」じゃなく、「それにどれぐらい(時間と)お金をかけるか」にありそうです。