タイトル:萌は妄想の萌 |
作成日:2004年04月29日 |
カテゴリ:[Otaku] |
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なんだかこのごろオタサイト界隈で『萌え』についてむつかしいことを考えるのがはやってるっぽいので、たまにはナウいヤングのハートをガッチリキャッチしてみるべく、いろいろとこねくったりしてみたのだけど、こちとらの年老いたアタマでは結局萌え=妄想力とゆうすごく短絡的な結論しか出せませんでしたまる。
妄想つっちまうとあっちとかそっちとかからゴルァされそうなんで、それらしく『物語性の喚起力』とか言い換えてみる。要するに『萌え』というのは、対象のバックグラウンドの物語に対する没入がもたらす情動、というべきもんなんであろうなあ、というのがとりあえずの俺定義である。
ここで物語に対する没入、て言っているのは『物語のスキマに自分自身を埋めていく行為』。いわゆる感情移入とちょいと違うのは、感情移入があくまで作り手が物語上に仕込んだ情動へのシンクロなのに対し、物語没入というのは受け手が自分の自我を保持しつつ(作り手の仕込みに乗らず)物語へとシンクロしていく、という点。
俺が佑一になってあゆあゆを助ける、というのと佑一が見捨てたあゆあゆを俺が助ける、の違いと言えばわかっていただけるだろうか。
だから『萌えキャラ』が架空の存在に集中するのはある意味理の当然、現実の存在がバックグラウンドに持っている『リアル』には受け手が入り込める物語のスキなぞはありはしないからだ。
例えば小倉優子がメイドのコスを着て立っているグラビアがあったとしても、我々は、基本的にそれを小倉優子がタレントとしての『お仕事』でやっている、と認識する。そしてそのお仕事に、常識的に受け手が介入できる余地はない、ということもきっちりとわかっている。
だから、小倉優子メイドには生物学的な欲求であるすけべえ心を喚起される可能性があったとしても、『萌え』にはならない。(逆に、そこに過度に没入してしまうような心理的な状況になってしまった場合、社会的に非常にめんどうな事になる)。
それに比べて、たとえばメイド服を着た美少女CGの場合はどうか。当然、その女性は現実の存在ではないわけだから、バックグラウンドなど持ってはいない。
だから、『なぜ彼女がメイド服を着てそこに立っているのか』という事について受け手は様々な物語を構築し、そこに自分を没入させることが可能となる。
特に日本のアニメ・マンガ絵というのは基本的に類型表現の集積だから、キャラクターの表情、しぐさ、ガジェットといった記号に対しての物語や情動の紐づけは極めて容易、しかも日本人は一般人でもなお供の頃からアニメ絵表現に対応する様々な物語を取り込みつつ成長する。いわんやオタクをや。
記号に対しての物語構築力というのはデータ量に依存するから、かくてヲタは何を見ても『萌え〜』と叫びだす、ということにあいなるわけである。
恋愛系ゲームのキャラ人気を見てもメインヒロインよりもサブヒロインに人気が集まる場合がしばしばあるのも、多分にこのあたりの事情がからんでいるのではないかと思われる。
ほとんどの場合メインヒロインは作り手に細部まで『仕込まれた』物語を持っているが、サブヒロインの場合はそこまで作りこまれていない場合が多く、そこに受け手が没入できるスキマを見出すことができるからではないかと。
というわけで結局何のヒネリもない凡百な結論に達しちゃったような気もするが、とりあえず萌えキャラのキーワードとしては『着衣と物語の適度なスキマ』いうことになると思うんだがどんなもんであろうか。
気が向いたら続くかも。
※管理人のレスは遅れ気味です。どうかひとつ気長にお待ちください。