タイトル:雑誌の上のエロ漫画 |
作成日:2005年11月22日 |
カテゴリ:[Objection] |
コメント:7
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そういえば今日上告審だったのだなあ、の最近は「M君事件」とも言われなくなった1989年の連続幼女殺害事件だけれども、この事件の報道に関して、今更も今更、当時の取材記者だった方の回想が読売ウィークリーのブログに掲載され、それがWeb各所で問題視され始めたら今度はエントリ自体が消された、というステキ事象が(Googleキャッシュ)。
この元エントリの内容に関しては、こちらのエントリ(穏やかな日々)とほぼ同意見。いやさすがにあんだけの事やらかしたら極刑は免れないと思いますが。「記者がエロ漫画をわざわざ置いた」て話自体はどっかで聞いたなあ、思ってたら大塚英志が言ってたのか(上記エントリのコメント参照)。
と怒るところは怒るとして、だ。
ちょっとだけ翻って考えておかなくちゃいけないのは、「何で、当時の取材者がエロ漫画を雑誌の上に乗せたのか」という事だ。それは当然、そういう「画」に対するニーズがあったからだろう。どっから、と言えばもちろんマスコミ様最大の顧客である、庶民とか市民とか罪のない一般のヒトビトとか言うところの、いわゆる世間様である。
マスコミの市場ニーズというのは、本当の意味での真実を伝える事ではない。真実という名前の物語を提供する事だ。過去のいくつもの捏造報道事件というのが、それを逆説的に証明している。
サンゴに字を書くような不心得者がいるといった「物語」を、コウノトリが月をバックにして飛び立つ、という「物語」を、受け手が望んでいると判断したからこそ、彼らは「真実」を創っていったのだ。
特にこういったこれまでの社会規範から逸脱した事件の場合、それが「別の世界の物語」であることの確認を読者は望む。自分達と違ったところにいる人たちの話である、ということを。
そりゃそうだ。でなきゃ、いつ自分自身が異常な犯罪者になるかもわからない、という恐怖と不安にさいなまれることになるから。そしてそれに耐えられるほど多くの人間は強くないから。
だいたい件の事件を始めとする「この手」の事件があるたびに、「あんなのはオタクじゃない」と反応するやん。こちとらだって。そこに自分自身の中にある「この手」の部分を認めたくない、という心理はないと言い切れるのか。
そしてその心理こそが「雑誌の上に置かれたエロ漫画」を望む心理じゃないのか。
マスコミ報道において「エロ漫画」はおそらくあちらこちらに置かれているのだろう。それと気付かずに、(そして永遠に気付かれずに)我々は一喜一憂しているのだろう。
それは個人が情報を発信するネットにおいても然り、だ。
ネット上でのムーヴメントやフレームに「エロ漫画」は置かれてなかったのか、あるいは自らが意図的に「エロ漫画」を置かなかったか。
それが結果的に間違いだったのかかどうかはさておき、省みてみる価値はあると思う。
かの発狂した哲学者が言ったように怪物と戦う者は自分自身が怪物にならないようにしなければいけないのだから。
私の場合の見方はちょっと違っていて。
劇場型の犯罪を、(いろんな意味での)弱者を使って演出してるって感じでしょうかね?
だから、見る方は安心よりも刺激。
言い方を変えれば面白さを要求してるだけのように思います。
その上、相手は自分とは違う階層の人間だし、その上弱者だから蔑んでも自分は痛まない。
これは逆説的な考えからも生まれたものでして。
私は、多くの人は、自分や気心の知れた相手が犯罪者になるかもしれない不安なんぞ、持ってないと思うのですよ。
自分が社会的弱者になる事を想像しないのと一緒で。
そして、他人に対しては、相手が普通に見えようが常に一定量の不安(不信かな)を持ってるようにも思う。
ここで、犯罪者が変態だったと言ったところで、その不信は変わらないはずだから、不安の解消って方向は違うかもしれないと思ってみたり。
広島の事件で、またうっとおしい上にクソの役にも立たない素人プロファイラがマスコミに溢れるのかと思うと憂鬱な今日この頃です。
それはさておき、以前小さい子のお母さんな知人が
「今のご時世、本音では先生を含めた他所の人全部を疑え、と教えたいけど、まさかそうもいかないしねえ」
とボヤいているのを聞きました。
そういう意味での安全弁というのは、社会としてはどっかに必要なのだなあ、とは思います。「こっから先は行ってはいけません」みたいな線引き。
問題なのはそれが、客観的・科学的なものではなく、情緒的・煽情的な方向に流れている事でしょうね。
本来マスコミというのは、そういう部分を排するために各種の社会的・法的な特権が与えられているはずなのですが、それが機能していないのが悲しいところです。
全てがイエローになったジャーナリズムにいかほどの存在価値があるんでしょうか。それだったら、それこそネットで充分です。
>プロファイル
これは私もそう思いましたね。
「…20代〜30代の独身男性。体型はやや太りぎみ。美少女アニメやゲーム、漫画を好む」etc.
なんてのがどっかで作成されてるんじゃないかと。
「電車男」からこっち、人口に膾炙しつつあった「アキバ系」だの「萌え」だののタームをうざったく思っていた人には格好の燃料投下になりそうな…
#去年の今ごろにも類似の事例があったんで
まぁなんというか、いまのマスコミは
「『金儲け』『グルメ』『スポーツ』『"正常"な恋愛・セックス』以外のことに血道を上げている連中は、どんなに叩いて笑い者にしてもよい」
みたいなことを提示してるんじゃないか? とも思える今日この頃でして
なんか早速灰谷勝彦がやらかしたらしいですね。
単に隠し場所に困っただけじゃないのか、とは思えないんでしょうか。
↑勝谷誠彦の間違いです。
どうして灰谷勝彦なんだよオレ。
関係者の方々、訪問者の皆様方どうもすみませんでした。
といってたら今度は栃木ですよ。
またこれで「アキバ系」だの「萌え」だのに勝手に紐づけしたプロファイルが(ry
※管理人のレスは遅れ気味です。どうかひとつ気長にお待ちください。
大塚英志は著書の中で、置かれていた劇画エロ雑誌のタイトルが『若奥様の生下着』であったことの矛盾点(宮崎がそんなものを読むはずがない、という意味で)を指摘していますね。
それはさておき、一般にマスコミはわかりやすい「原因」を安易に求めすぎる節があると思います。普通に仕事をして普通に日常を送ってる人間が凶悪な犯罪に走ることがお気に召さないようで。
いまや犯行の背景を象徴的に示す(あるいはそういう錯覚を喚起する)ためのアイテムやエピソードを血眼になって探すのはイエロープレスの専売特許ではなくなりましたから。
きっとそうすることで「普通の」読者が安心するのでしょうね。ああ、私とは別世界の人間がまた悪いことした、と。
これはある意味で問題意識を放棄する・させる行為だと私は思います。「普通」とか「正常」ほど当てにならない言葉はないというのに。