タイトル:「批評」家ふたり |
作成日:2005年02月17日 |
カテゴリ:[DayInTheLife] |
コメント:2
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ありがたいことに先日アップした批評ばなしにいくつかコメントやトラックバックをいただいた。
そのお返事はおいおい、というか相変わらずいろんな事がいっぺんにできないシングルタスク脳なんで素早く反応できない、というか。いや誠にもって申し訳ないです。
代わりといっては何だけれど、四方山話として自分が批評めいた文章を書くときに、個人的に範としている文筆家を2人ほどご紹介しておく。
まず一人目は氷川竜介氏。
氏はアニメや特撮といったオタメディア関連のライターとしてあちらこちらで活躍なさっているので、その文章を目にすることも多かろうと思う。
この人のスタイルは、まず対象を可能な限り仔細に分析し、その物理的な構造を明らかにする。そうしてから、その構造が、「フィルムが表現したいこと」にとってどんな意味を持つのか、ということを考察・論評していく。
そしてそういったロジカルな分析の上に立って「そのフィルムがなぜ感動を呼ぶのか」「なぜ自分はこの表現を素晴らしいと思ったのか」というエモーショナルな部分での結論を導き出していく。
こう書くと楽、というかオーソドックスな論立てメソッドのような気がするが、実際これらを説得力あるものにしようとした時に、どれほどの知識と経験値。そして文章センスが必要とされるか。一度でも批評文をお書きになったことがある方ならおわかりになるのではないか。
ともかく、映像関連の批評文をものしようという方は、一度氏の文章をじっくり研究なさってみることをお勧めする。必ず得るものがあるはずである。
もう一人は、下野康史氏。
これで「かばたやすし」と読む非常に珍しい苗字の方である。
こちらの方はご存知ない方も多いかと思われるので簡単に説明しておくと、氏の本職はモータージャーナリスト、いわゆる自動車評論家である。『NAVI』や『Car Graphic』の編集を経てライターとなり、現在は『週刊朝日』誌で、「通といえばCAR」という自動車試乗記を執筆している。→(著書)(Amazon)
この人の自動車評論の面白さは、ともかく「ガンコ」なことだ。氏の自動車の好みは相当にマニアックで、ヨーロッパ製のちょっとマイナーな車、しかも今時MT車がベスト、と言ってはばからず、それをカーレビューの絶対価値においている。
これだけだと普通は、「これだから日本車は」式の文章になりそうなもんなのだが、この人の論評はそうはならない。なぜかというと、クルマの工業的な部分に関してのインプレッションが極めて冷静だからである。
だから、独断と偏見に満ちていながらも、この人のインプレッションは、本来的な意味での「実用性」も高い。
この方の文章も機会があれば一度お読みになってみることをお勧めする。
しかしこうやってみると、「批評」のスキルというのは、いわゆる理系なスキルなのよな(氷川氏は元々エンジニアである)。
このあたりを過剰に「文系」的な方面に振ってしまうと、批評としてはアレな方面になっちゃうのかもしれないな
日本の小中学校にそこそこまじめにかようと、
読書感想文というものを書かされます。
これは、文字通り、感想をエモーショナルに書き連ねるとたいていほめてもらえます。審査員はだいたいにおいて「国語(それも国文学好き)」の教員です。
このあたりに、「文学批評」が発達しないこと。「だって僕は好き(きらい)なんだもん!」という感想文から離脱できない理由があるとにらんでます。
だって、日本中で全児童対象に、行われていることですから、じわじわと影響力をふるっていると思いますよ。
私は批評は論理だと思っていますから、どちらかというと理系なのは当然だと思います。ていうか、国語の学習を理系だと認識しないと、国語の点数だって上がりません。
批評が理系のスキル、と言うのは何となくうなずける気がします。文系だと主観的になりがちですが、客観的に利点と欠点を評価できて、その上で押し付けない程度に私見をまじえた文章だと好感が持てます。
残念ながら上記のお二方の文章は読んだ事無いのでその辺どうなのか判らないんですが、機会があったら読んで見たいと思います。
関西の超有名人で映画評論もされる浜村淳と言う方が居られますが、氏の映画評論は悪く言わない事で有名で、実際の映画より評論の方が面白い、と言われるほどの方ですが、だいぶ前に某有名作家が自分の作品を映画化した時の評論がただ一言、「映像だけは綺麗でした」というもので、よほど褒める所が無かったんだなぁと思い、逆に観に行きたくなった事がありました。ある意味、宣伝にはなったかもしれませんが…
こういう、箸にも棒にもかからない作品の批評をする時の評論家の心中は如何ほどのものでしょうね。